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観たものや読んだものの感想など

映画『大怪獣のあとしまつ』感想

人類を未曽有の恐怖に陥れた大怪獣が、ある日突然、死んだ。
国民は歓喜に沸き、政府は怪獣の死体に「希望」と名付けるなど国全体が安堵に浸る一方で、河川の上に横たわる巨大な死体は腐敗による体温上昇で徐々に膨張が進み、ガス爆発の危機が迫っていることが判明。

大怪獣の死体が爆発し、漏れ出したガスによって周囲が汚染される事態になれば国民は混乱し、国家崩壊にもつながりかねない。終焉へのカウントダウンは始まった。
しかし、首相や大臣らは「大怪獣の死体処理」という
前代未聞の難問を前に、不毛な議論を重ね右往左往を繰り返すばかり・・・。

絶望的な時間との闘いの中、国民の運命を懸けて死体処理という極秘ミッションを任されたのは、
数年前に突然姿を消した過去をもつ首相直轄組織・特務隊の隊員である帯刀アラタだった。そして、この死体処理ミッションには環境大臣の秘書官として、アラタの元恋人である雨音ユキノ(土屋太鳳)も関わっていた。

果たして、アラタは爆発を阻止し、大怪獣の死体をあとしまつできるのか!?
そして彼に託された本当の〈使命〉とは一体―!?

                            
引用元 映画『大怪獣のあとしまつ』公式サイト

www.daikaijyu-atoshimatsu.jp


第一種警戒体制
公式側が、斬新でもないコンセプトを自信満々に推している場合。


怪獣の死体処理と聞いて、思い浮かべるエピソードがある。

1996年放送の特撮ヒーロー番組、『ウルトラマンティガ』第5話「怪獣が出てきた日」。

浜辺に打ち上げられ強烈な悪臭を放つ怪獣の腐乱死体・シーリザー。
死体処理に四苦八苦する防衛隊と、現場に密着しスクープを狙うマスコミ。処理の手際を巡って好き放題コメントする世間。
三者の三様が程好いリアリティとユーモアを備えて描かれる、ティガ初期を代表する名エピソードのひとつだ。

2013年の映画『パシフィック・リム』では、怪獣の死体から剥いだ牙や骨が取引され、香港の裏マーケットにて莫大な富を生む言及があった。一世を風靡したベストセラー『空想科学読本』も、死体処理に掛かるコスト問題を初期の段階で取り上げている。

つまり『大怪獣のあとしまつ』公式が推すほど、大して珍しい着眼点ではない。

とはいえ上記作品における死体処理は、結局途中で怪獣が目覚めて暴れ出したり、世界観を構築するフレーバーに過ぎない。真に怪獣の死体処理だけで1本の映画を撮る意気は、十分買われるべきであろう。



第二種警戒体制
著名人から寄せられたコメントが不穏な場合。


公式サイトにて、『大怪獣のあとしまつ』に寄せられた、著名人のコメントを読むことができる。
綾辻行人先生京極夏彦先生といった作家の方々。日本特撮の最前線でしのぎを削っている坂本浩一監督に、東映の白倉伸一郎プロデューサー。『仮面ライダー龍騎』や『侍戦隊シンケンジャー』といった名作特撮番組のメインを多数手掛けた、脚本家の小林靖子さん。あ、俳優の濱田龍臣くんや声優の潘めぐみさんのもありますよ。『ウルトラマンジード』、素敵な特撮番組でしたね。


ん?ちょっと待って下さい。





皮肉をオブラートに包むのが上手い人と、オブラートから本心がこぼれている人の二種類が、何人か居るように見えるんですが……



第三種警戒体制
映画が酷評だった場合。


酷評。

溢れんばかりの酷評。

『大怪獣のあとしまつ』公開日の我がTLは、渡りきれない憤怒の河となっていた。


門外漢の逆張り作品である気配は正直言って濃厚だったが、「シン・ゴジラが灯してくれた国産怪獣映画の火。消させはしない!」と義理に燃え、勇を鼓し、傑作の可能性に賭けて映画館へ向かった、多くの特撮ファン達。切なる想いを踏みにじられた裏切りに、憎悪の血潮がすさび狂っている。その凄惨な光景はまるで、太平洋戦争の英霊達が怨霊へと反転し、ゴジラの姿で暴れ回る『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』と言った所であろうか。『大日本人』の再評価大会まで始まっていた(世間的には評価されなかったが、松ちゃんの、巨大特撮への洞察が光る名作だと私も思っている)。
 


だが、どんな映画もそうだが、自分の眼で観てみない事には判断できない。


それに、私は怪獣映画も好きだが、コメディ邦画も好きだ。
ひょっとすると、世間では大不評だったが、仮面ライダーも好きでJホラーも好きな私にとっては唯一無二のカツカレー映画・『仮面ライダー THE NEXT』のように、素敵な出会いとなるやもしれない。


「どうぞ、楽しいひとときをお過ごし下さい」。イオンシネマ券売機の、機械的な案内音声がロビーに響き渡る。


第四種警戒体制
自分には楽しめる筈だと観に行ったら、やっぱり無理だった場合。





 

ギャグがつまらない


端的に言って、全く面白くない。

ギャグというものは必ず、客を笑わせる勝算によって放たれている前提が揺らいでいくようなつまらなさ。

そして、ネタが下品かつ不快。
私もどちらかというと、笑いは俗悪たれと思っている側の人間なので、コンプラ意識が云々などとは言いませんよ。ただ、きのことチンポをしつこく誤認するだとか、蓮舫さんと小池さんを足したような環境大臣が全国中継にパンツを晒すだとか、ハングル語で日本を批難する韓国アナウンサーだとかのネタを主力に、2022年の世で笑いを勝ち取れると本気で思っていたのなら、見通しが甘過ぎるよ!何周前なら鮮度あったネタ群だよ!
韓国ネタをやる時は「隣国」とぼかす腰の引けようも、ただただダサい。9年も前に、韓国どころか北朝鮮をそのまま出して茶化しまくってた『アイアン・スカイ』に、鮮度も質も志も負けてるよ!

つまらないギャグが本編の流れをいちいち中断・阻害するのもひどい。

怪獣駆除の費用対効果を検討する会議中に「貢いだ金をセックスの回数で割るようなもんだろ!」と大声で発言し場をしらけさせる閣僚。

有頂天になっている心情を表現するため、突然ラジオ体操の歌を熱唱する環境大臣。

何の脈絡もなしにフェッフェッフェッ!と不気味な笑い声を挙げるユキノ。

クラスの面白くない子が、注目を浴びようと授業中に突然奇声を上げるテンポで笑いを挟んでくるせいで、話の筋は一々ぶった切られ、感情の置き場に困り、とてもじゃないが没入できない。前線基地ではシリアスをやっているのに、政治家ギャグをやる為だけに場面転換することもしばしば。何なんだこの作り????

怪獣災害への解像度が低い


繰り出されるギャグが凄絶につまらないのは先程述べたが、更にその殆どが怪獣とは直接関係が無く、あっても、浅く浅く上澄みを掬っていく程度なのが、宣伝に惹かれて映画館に来た特撮ファンを、ボコボコに打擲していく。

一例を挙げよう。遅々として処理の進まない怪獣の死体は、気温上昇に伴って腐敗し、強烈な悪臭を近隣へと撒き散らす。政府はマスコミに激しく突き上げられるのだが、その際「この臭いはうんこですか???それともゲロですか???」と尋ねられ、返答に詰まってしまう。


そんな事が争点になる訳ないだろ!!!!


怪獣の死体が腐って悪臭を放ち、近隣住民から訴えが出るのはリアリティがある。それはいい。しかしそこから、怪獣の悪臭がうんこorゲロなんて側に、世間の関心が向く筈がないんですよ。
「怪獣の存在する世界では、こういう部分が笑いになってくるんだな」という気付き、斬新な視点からの分析が生む面白さでは、全くない。うんこやゲロも、真面目な質疑応答の場なんだから、小学生みたいにうんこゲロ連呼させるより「排泄物及び吐瀉物」とおカタく言わせた方が、絶対に面白かった。
一事が万事こうなのだ、この映画のギャグ。真面目にやることでより悪ふざけが際立つ部分のメリハリ付けがなく、ただずっとふざけている。下ネタやセクハラや外見いじりなんか無くとも、怪獣という未曾有の災害に翻弄され辟易する様子から、自然とおかしみが滲み出すお笑いに仕立てられた題材でしょう、政治家は。『シン・ゴジラ』はやっていましたよ。てか、別にコメディ映画でもないシン・ゴジラの方が、ユーモアの総和で圧倒的に勝っているのはどういう事なんだよ!!!!!

怪獣の呼称決定イベントもこんな調子。
そりゃ、いつも都合よく「呉爾羅」なんて記してある伝承が見つかりはしない。冴えた子供が「ギャオーッ!と鳴くからギャオス!」なんて付けてくれない。「山のフランケンシュタインはサンダ、海のフランケンシュタインはガイラ」のように語呂がよくなる訳もない。だからといって、新元号選定式及び発表式のパロディを経て「怪獣の名前は、『希望』に決定いたしました」は、そうはならんやろ!!!!日本を襲った未曾有の、そして世界初の大災害だぞ!?
まあコレに関しては劇中でも国民に叩かれるので、比較的整合の取れたお笑いではある。でもそこはやっぱり、怪獣の死体が遺棄されている状況への分析・考察から遁走せず「いかにもありそうだ」と、思わず唸るような過程や騒動で、笑わせて欲しかった。

怪獣の死体へ接近するのに防護服もガスマスクも付けていない。体液を浴びたのにシャワー洗浄だけで済ます。こういうのはエンターテインメントの嘘として軽く流してもいい、と私は思う(勿論、しっかりやってると評価は上がる)。ただ、ネタとしてフォーカスする箇所には、現実強度を高める措置を施しておいた方が、怪獣の居るリアルをお笑いにしていく本作品のコンセプト達成及び満足度向上に、グッと繋がっていたであろう。

真面目にした方が面白くなる所は、真面目にやろうよ。


無能で不快なキャラクター達


本作を一言で表すならば、「無能で不快なシン・ゴジラ」。


下ネタを叫んで場を冷やかす。
責任をなすりつけあう。
派閥争いを優先し、稚拙な作戦を強行する。
渡してきた資料が偽物だった。

本作のキャラクターは9割方、大怪獣のあとしまつを真面目にやっていません。現場の奮闘を妨害する為だけに存在しているキャラクターが殆ど。菊池凛子さんに無能軍人ギャグをやらせる『パシフィック・リム』への当て擦りみたいな配置で、特撮ファンの神経を逆撫でするのにも余念がない。

「でも土壇場で、政治家としての使命や国を想う心に覚醒し、主人公のピンチに駆け付けてくれるんでしょ??」
三谷幸喜さんの映画みたいな期待をしてもダメ。
「ボンクラな奴等が、やる気を出せば実はメチャメチャ有能だったり??」
『エクストリーム・ジョブ』みたいな奇跡も無し。
「解った!全員怪獣にぶっ殺されるんだ!!!」
NO。溜飲を下げる役割すら果たしません。
クズは徹頭徹尾クズ!そんな奴等が利権を主張し合い、うんこだのちんちんだのセックスだの下品でつまらないネタを連呼しているので、「どこか憎めない、愛すべき馬鹿どもだな……」なんて気持ちは、微塵も喚起されない。
愛嬌の無い馬鹿。創作で見せられてかなり辛いやつです。

じゃあ残り1割の、真面目にやっている人達は魅力的かと言われるとそうでもないのがまた、頭が痛い。
「山田涼介くんが演じているから格好いい」「土屋太鳳さんだから可愛い」「濱田岳だから名バイプレイヤー感ある」「オダギリジョーだからコイツ只者ではない」と、俳優さんの熱演に寄りかかり立たせてもらっている域を出ない、表層的な個性付けに留まったキャラ揃い。
逆に、せっかくの有能ぷりや裏表無いスカッとした性格を、女優の異常なまでの棒読みが台無しにしている女スナイパー(通称:棒読みスナイパー女)もいるのだが、じわじわ癖になってくるキッチュな味わいがあるので、一見の価値あり。棒読みスナイパー女の活躍は、本映画が誇る数少ない美点のひとつだ。


ばら撒いてハイ終わりな要素


矢継ぎ早に繰り出されるしょうもないギャグとは別に、明らかにシリアスなトーンで放たれる「意味ありげな場面」も、本作には多い。例を挙げると、

・雨音は過去の事件で脚を失っており、義足である。

・アラタと雨音は旧知の仲。アラタは雨音に何らかの引け目を感じており、雨音はアラタに対して嫉妬心を抱き、優位に立とうとしている。

・アラタ、ユキノ、雨音の三角関係を見つめるブルースのまなざし。

・笹野高史と嶋田久作の演じる無能政治家キャラが、のらりくらりした態度から一変、切れ者で底知れない気配を放ちだす。

いずれも牽引力のある情報で、面白くなりそうな期待と共に胸をザワつかせてくれるが、ポッと匂わせたら役目終了。明白な回収がなされることはない。シナリオがうねるきっかけとなって、観客を面白さの地平へと運んでいってもくれない。

要素、勿体無ッ!!!!!!!!!

「要素は全て回収すべき!投げっぱなしは不誠実!」と怒っている訳ではない。私は、謎や匂わせに明確な答えが出ないまま物語が終わっても、特に気にしない。まあ大体、こんな所だろうなと仮説を組み、適当に自分を納得させておく。

ただ、面白くできた筈の手札を使いきらないまま作品が死んでいたら、話は別だ。
惜しい。悔しい。勿体無い。

本作は、キャラクター達の魅力、引いては映画全体の面白さの総和も、基準値に全く達しておらず、常に枯渇寸前だ。「面白くなってくれ、面白くなってくれ……!」スクリーンに向かって祈るような飢餓感が、120分の間中、じりじりとじりじりと募っていく。
特に辛いのは、映画なんて碌に観もしないのに「これだから邦画はゴミ!」と伝聞だけで断定する奴等の「これだから」が、眼前でまざまざと繰り広げられている瞬間だ。無駄なスローモーション。無音のキスシーン、無意味な変顔や大声。
奴等の主張には屈したくない。しかし、目の前のクソ映画の肩も持ちたくない。挟撃。逃げ場の無い挟撃。今も心に刻まれている素晴らしい邦画名作の数々までもが、無価値にされた気がして、嘔吐が込み上げてくる。それはゲロの匂いですか?それともうんこですか?銀杏です!こんなんじゃ、俺、もう邦画を守りたくなくなっちまうよ……

感情的になってしまった。話を戻そう。だから、ただでさえ面白くないのだから、跳ねそうな要素が少しでもあれば逃さずキャッチして、「放置するのがシュール」「結局何もないのが脱力系」などと気取ってリリースせずに、全力で調理して欲しかった。その美味そうな食材で作った料理を、腹一杯に、食べさせて欲しかったのだ。


主人公アラタのライバル的位置付けである、事の裏表に通じたエリート官僚・雨音。
匂わせの多くが彼に絡んだ要素であり、特に目を惹く。そこで、描写の断片をつなぎ合わせてみると、以下のような人物像が浮かび上がる。


ユキノは俺よりもアラタを選んだ。俺はアラタの巻き添えで片脚を失った。溜飲を下げるため、ユキノに再度迫り、アラタを失った寂しさに付け込んで妻とするも、収まらない。そんな折にアラタがフラっと戻ってきた。刺激される仇恨。こうなったらアラタの正体を皆の前で暴いてメチャクチャにしてやる。怪獣のあとしまつも利権も、どうだっていい。アラタに勝てれば、それだけでいい。


オオオオイ!!!これぞみんなの大好物「嫉妬と劣等感がない混ぜになった、男から男への巨大感情」じゃねえか!!!!!
さらにその一方で、アラタの○○が示した神秘的で強大な力に対しては、崇拝や畏敬のまなざしを向けているフシがある。いやコレめっちゃ美味しいだろ!?くだらねえギャグやってないで、気取った匂わせに終始してないで、もっと、これを、真面目に、突き詰めて、形にして押し出してこいよ!!!!観る者の情緒をなぶれよ!!!!!!

手掛かりが少ない映画の為、主観や推察による補完を多分に含むのは否めない。だが決して妄想でもない。強度のある解釈だと自負している。

意味ありげな匂わせ箇所は、他にも沢山ある。決してオススメ出来る映画ではないが、もし興味が持てたら、是非とも映画館へと足を運んで欲しい。
そして、君が答えを見つけたなら、いつか、私にも聞かせてくれ。


きたぞわれらの山田涼介マン



許すか馬鹿!!!

素人がPVから即興で思い付けるオチを、そのまま出すやつがあるか!

とはいえ、道往きをしっかり踏みしめてきた映画であれば、相応の盛り上がりを見込める結末だっただろう。だが『あとしまつ』はうねりの少ない映画なので、過程で何かを得た実感がとても薄い。「じゃあ初めから変身して死体を片付けろや!」と怒りが先立つのも無理はない。アラタが土壇場まで変身しない理由の不鮮明さも、怒りの炎を燃え上がらせる薪となっている(記憶にロックが掛かっていた、ユキノとの繋がりを捨てたくない、辺りは察せられるが)。

長きに渡る確執を経て、アラタと雨音は和解し、へっぽこ政治家達も心を入れ替た。ようやく皆が手を取り合い、この国の明日のために大怪獣のあとしまつへと立ち上がるのだ。勇壮なBGMの中、駆除作戦は順調に推移。もう一歩、もう一歩、もう一歩の所で、突然の高エネルギー反応を確認!!まさかの怪獣復活!?ギリギリまでがんばって、ギリギリまでまでふんばって、どうにもこうにもどうにもならない……そんな時、山田涼介マンが欲しい!!!!!

特撮ファン願望が顕れ過ぎてて、いささか極端かつ幼稚ではある。が、このような筋であれば「望まれている事をちゃんとやったオチ」に心象反転し、何よりも、人間が頑張っているからこそウルトラマンも僕達を助けてくれる、他社ヒーローへの真摯なオマージュたり得たのだと思うのだが、どうか。


意外と見れる特撮パート


良いところも挙げておこう。実はこの映画、特撮ファン間で画作りや美術だけはなかなか高く評価されている。

アラタの駆る特務専用バイクは「流石仮面ライダーの東映!」と思わせるゴツくてメカニカルな存在感を放っており、映画の導入をよく勤めていた。作戦陣地は密度も高く、しっかり作り込まれている。数回挿入されるヘリからの空撮や、怪獣もののお約束・軍隊が地元住人へ避難を呼び掛けて回る描写、そして実景によく馴染んでいる怪獣の死体と、リッチな画は多い。
特に、栃木フィルムコミッションの公式アカウントもPRしていた、ダム爆破セッティングシーンは本作の目玉である。プロジェクションマッピングによって爆薬の設置場所を指定するシーケンスが秀逸であり、夜間のダム壁面にぼうっとグリッドが浮かぶ情景は、幻想的でありながらも、作戦の緊張感を途切れさせない。斬新な演出で、思わず目を見張った。これは特撮史に燦然と輝く名作『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』における、かのL作戦準備シーンとも張り合えるのでは……???
流石にフカシ過ぎました。すいません。だがこのプロジェクションマッピング演出、以降の特撮作品が追従しそうなポテンシャルは十分。その暁には「大怪獣のあとしまつで見たやつ!!!!!!!!」と存分に騒ぐこととしよう。それくらいの権利は貰ってもいい筈だ。本作を映画館で観た人間なら。


『大怪獣のあとしまつ』のあとしまつ


最後になりましたが、この画像を見て下さい。

私の大好きな怪獣映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)のワンカット。僅か数秒間、間を繋ぐ為だけにある、どうということもないカットだ。
しかし、放送も終わり夜景を映すのみとなった静謐なテレビ画面に、怪獣関連のテロップがしんと佇んでいる様は「怪獣が出る世界じゃ、テレビはこんなふうになっちゃうんだ……!」と、当時まだ中学生だった私に、肌の粟立つようなリアリティを伝えてきた。衝撃だった。慧眼だった。
このような描写が映画全体には、くまなくちりばめられている。「怪獣が出る世界」への綿密な検証と、細やかな気付きの積み上げから『ガメラ 大怪獣空中決戦』は成り立っていた。

『大怪獣のあとしまつ』も、そんな映画であって欲しかった。
といっても、シリアスでなくていい。コメディ映画なのは、それでいい。怪獣が動かないのもいい。ただ、怪獣の死体が鎮座する現実のシミュレーションとして、「あ!確かにそうなる!」と思わず唸らされる、気付きに満ち溢れたお笑いに走って欲しかったのだ。

『大怪獣のあとしまつ』冒頭数分にて、教室中に怪獣避難警報がけたたましく鳴りひびき、学生達が騒然となる中、頭の悪そうな男子が「笑い袋でした~」とタネあかしをするシーンがある。
このギャグは、素敵だった。怪獣の出る世情なら不謹慎ジョークグッズもあるよな……と思わせる自然なリアリティがあるし、怪獣が出るとスマホからこんな警報が鳴るのかと、世界観を補強してもいる。何より、生徒達の尋常ならぬ怯えようが、怪獣の襲来がどれ程の災禍をもたらすのかを、克明に伝えてくる。
本編中では死んでて動かない怪獣でも、生前は強大だったと念を押す。中々しっかりしたリスペクトだなと私は感じた。この感性、悪くない。これから始まる映画に、期待が持てた。


が、ここまでだ。
なまじ滑り出しが期待させるものだけに、洞察も考察も浅い、小手先のネタまみれに堕ちていくから、余計に腹が立つのである。

たびたび『シン・ゴジラ』を引き合いに出したが、シン・ゴジラにはならなくていい。
『シン・ゴジラ』は素晴らしい怪獣映画だが、怪獣映画の唯一の最適解では決してない。
『大怪獣のあとしまつ』には、シン・ゴジラが排したラブロマンスや、ウェットな人間関係、クソ政治家といった要素を敢えて山盛りに積み、逆張りしながら独自の面白さを追求した、ちょっとだけナンセンスな怪獣映画になっていて欲しかった。「怪獣災害をきっかけに余計こじれてしまった、かつては友人同士の三角関係」という優れた着眼点を、映画の見所として、存分に活かして欲しかった。シン・ゴジラも面白いけどこっちも面白いよ!と薦められる、一見似ていて真逆な怪獣映画の誕生は、ジャンルの可能性としても、多様性の面でも、大いに喜ばしい筈だった。


が、そうはならなかった。


『大怪獣のあとしまつ』は、何にもなれなかった。

何かになることは、出来なかったのだ。



『シン・ウルトラマン』の公開まであと数ヶ月。切り替えていきましょう。


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「特撮」ジャンルのステージを一段階上に引き上げた、平成怪獣映画の金字塔。

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こちらは昭和怪獣映画の金字塔と言ったところ。古い作品ですが超名作。


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有能で爽快な大怪獣のあとしまつ。


正直おすすめはしませんが……


本編への理解が深まるかもしれない。