分の悪い番組だった。
『NEW GENERATION TIGA』
『ティガの真髄を継ぐ』
『ティガを観た時の衝撃を令和に甦らせたい』
いやいやいやいや。
まあまあ年季の入った特撮ファンであれば、この宣言が舌禍となる予感でいっぱいだった人も多いのではないだろうか。
ウルトラマンティガ。
ウルトラマンとは何なのか、怪獣と戦っていくとはどういう事なのかを、過去シリーズへの深い洞察に基づきながら、きめ細かな手付を以て平成の世に織り上げられた、珠玉のエピソード群。
『ウルトラマン』らしい明朗な怪獣退治が続くかと思えば、『セブン』のような意識の高い問い掛けが登場人物や視聴者を悩ませる。『帰マン』以降の作風に沿ったウェットな人情話もあり、『タロウ』みたいに妖怪や鬼も出た。ウルトラマンと悪魔の宗教戦争さえあった。毎話が違った余情を抱くカラフルな番組作りに、一話一話を観終わる都度、喝采を送ったものだ。
SF短編集じみた昭和シリーズの空気を尊重する一方、ウルトラマンとして人を救う営みがもたらす気付きや、紡いできた人との関わりがエピソードを超えて持ち越され、激動の最終章へと収斂する連続ドラマ性も素晴らしい。全話視聴の暁には必ず、万感の想いが貴方の胸中を駆けめぐっている事だろう。
端的に言って『ティガ』は、超面白い、新時代のウルトラマンだったのだ。
大名作『ティガ』の継承を高らかに謳う『ウルトラマントリガー』。当然、普段の新作ウルトラマンに比してハードルの高さも跳ね上がる。かの『セブン』に次ぎ、『ティガ』には面ど……熱烈で敬虔なファンが多いシリーズ事情もあり、大変に気を揉んだ。既に放送前から「ニュージェネレーション"ティガ"なのにギマイラやグビラが暴れている」PVが不興を買い、あちこちで紛糾している。ひぇ〜。
そして放送された『ウルトラマントリガー』は……『ティガ』要素の扱いがド下手だった!
TV版『ウルトラマントリガー』へのモヤつき
・継承の難航
困ったことに、あろうことか、『ウルトラマントリガー』は、『ニュージェネレーションティガ』をやるのが大変下手な番組だった。
キャッチーなヴィランをレギュラーに据えての連続ヒーロードラマへ作風が変遷している、現在のウルトラマン・通称『ニュージェネレーション』シリーズ。連続性は緩やかに留めおき、あくまでSF短編集のような昭和シリーズの空気を堅持した『ティガ』。両者の食い合わせは、明白に悪い。
そこで制作側は、「キャッチーなヴィラン」に闇のウルトラマン三人組、「連続ヒーロードラマ」に超古代文明の謎解きを充てられる『劇場版ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』(以下TFO)から要素を重点的にピックすることで、『ニュージェネ』に『ティガ』を馴染ませる手に出た。成る程、確かに親和性は向上する。
だがこの方策、大きな欠陥があった。
『TFO』自体が、ティガの面白さってそういう物だったか???と疑問符が付く、物議を醸す劇場版なのだ。「光と闇を言葉にし過ぎて安っぽくなった」と批判する声は多く、TV版メインライターを勤めた脚本家の小中千昭氏も「クトゥルフ神話からお借りした場所を、ウルトラマンの内輪揉めの舞台に矮小化したくはない」と、劇場版の脚本を降りた件にやや刺のあるコメントを残している。私も率直な所、「ティガの劇場版にしては凡庸な作品だな……」と初視聴時に漏らしてしまったものだ。
燕雀は鳳を生まず。『TFO』を基盤とした『トリガー』も、超古代文明絡みの縦軸に追われ、「光と闇」は台詞として濫用され、人間臭く多弁な闇の三巨人と小競り合いをする、ティガの妙味から大きくかけ離れた番組として完成してしまう。
メイン監督を勤める坂本監督がよしとするマンガチックなキャラクターの味付け(本作では特に「口癖」が多用される)や、ニュージェネのお約束である昭和ウルトラ懐古要素も裏目に出ており、「ティガの真髄を継ぐ」「令和にティガの衝撃を甦らせる」といったコンセプトは、完全に座礁していたと言わざるを得ない。
・独自の魅力
その一方で、『トリガー』には魅力も沢山あった。
激昂と共に光の鞭で敵を打ち据えるサディスティックな毒婦・カルミラ。
ダーティーな手管を好む卑劣漢・ヒュドラム。
好敵手との真っ向勝負を悦楽とする猛将・ダーゴン。
通称・闇の三巨人。『TFO』の悪役「カミーラ」「ヒュドラ」「ダーラム」を原型にキャラクター性を大幅に拡充させた、本作品のメインヴィラン達。彼女達は打倒すべき強敵ながらも、元恋人のトリガーにベタ惚れだった純情な一面を見せ、紳士ぶっている癖に追い込まれるとすぐにキレだし、本作品のメインヒロイン・ユナをおもしれー女と認めて恋をしたり……と、悪役ながらもどこか愉快で、親しみが持てるキャラクターとして活写されていた。
『TFO』に重きを置いた要素のピックは、成果もしっかり出していたのである。
味方サイドにも、観てて楽しい、良いキャラクター達がいた。
所謂博士キャラにして、ツンデレ相棒枠であるGUTSセレクトの天才少年・アキトに、飄々とした頼れるトレジャーハンター・イグニス。抱えた闇と向き合い、克己していく彼らの姿は見ていて気持ちのいいものだったし、前述した『闇の三巨人』との因縁や交感を形成してストーリーを盛り上げてくれた。
主人公マナカ・ケンゴも、初期は成人男性の水準からあまりにもズレた思考・言動と、連呼される「スマイルスマイル!」で視聴者の心胆を寒からしめたが、アキトの恋を屈託なく応援できたり、グビラに振り回されるイグニスを煽ったり、前作主人公・ハルキとのウルトラマンあるある談義(とラーメン)で盛り上がる様を見るうち、中々いい奴だな、と愛着も湧く。不評な「スマイルスマイル!」も話が進むごとに鬱陶しくない使用頻度に抑えられ、善性を押し出し過ぎてて気持ち悪い第一印象からかなり持ち直したと私は思うが、どうだろうか。
ウルトラマンと怪獣。巨大な質量を持つ者同士のぶつかり合いによって生じる余波を、アナログとデジタルの合わせ技によって精緻に、ダイナミックに描画してのける特撮パートも圧巻。今作ではとりわけ、バンクの使用を敢えて抑える試みに積極的。変身するたび、今日はどんな風にトリガーが現れるのか、楽しみだったものだ。
怪獣の扱いも、序盤のギマイラやガゾートでケチが付いたものの、全体を通してみれば決して悪くはない。
光学エフェクトが美しい、一時間の悪魔ことサタンデロス。大火力のロボット怪獣を相手にするとはどういう事かを、地上の隊員、空の戦闘機、ウルトラマンの三様へ驚異たっぷりに見せつけたデアボリック。『ダイガ』の同族・ゴロサンダーを経て、愉快な造型に見合う活躍がようやく与えられたバリガイラー。そして遂にタッグを組み、ウルトラマンとの2on2が実現したアボラス&バニラ!初代ウルトラマンの『悪魔はふたたび』が子供の頃から大好きな私も、これにはたまらず大興奮。アボラスの泡で溶けるビルが、バニラの哀しげな咆哮が、令和の世にまた堪能できる日がくるなんて。
防衛隊メカのナースデッセイ号及びGUTSファルコンも、自然な合成処理と迫力の挙動を以て、全編に渡って印象深く活躍していた。防衛隊要素も無ければ無いで『ジード』や『ルーブ』のように個性的な話づくりが出来るので悪いことばかりではないが、やはり防衛隊はウルトラマンの本懐。前作『ウルトラマンZ』で本格復活した防衛隊要素を、絶やさずに繋いでくれたのは嬉しい。
・ティガなのか、ティガじゃないのか
『トリガー』には良い所も沢山ある。いっそ、ティガとは全く関係の無い番組として観られれば幸せだったのだが……
他ならぬトリガー自身が、「ニュージェネレーションティガなのでティガっぽくやりました」程度の、元エピソードにおける過程も文脈もない粗雑な再演を繰り出すおかげで、「トリガーはティガです!」「いや、トリガーはティガでは無い!」と、二枚舌ではぐらかされているような視聴感が付き纏う。
物語の柱となる「光・闇・人」の三属性についても、市井の人々が登場しない作劇のためモデルケースに乏しく、『ティガ』に依らない『トリガー』ならではの定義が見えてこない。とりわけ「闇」に関しては、ケンゴとトリガーダークの同一人物性を巧妙に躱した上、悪堕ちしそうでしない、面倒臭くなさが人気のイグニスに委ねておいて「闇を受け入れた」と宣言するのは、ズルい。先行作品の『ウルトラマンオーブ』や『ウルトラマンジード』が放つ、「闇は拒むものではなく、受け入れるものだ」のメッセージが響くのは、ジャグラスジャグラーが超絶面倒臭い奴であり、朝倉リクとベリアルの遺伝子は不可分であるからこそなのを、よく考えて欲しかった。
けなしたり誉めたりけなしたり、結局お前はトリガーをどう思っているんだと言われそうだが、ティガを知った上で観るトリガーとは、そういう物なのだ。手放しには褒められないが、いい所もあり、ぐねぐねと毀誉褒貶の路地に迷い込む。私は『トリガー』が好きなのだろうか。嫌いなのだろうか。視聴を切る気にはならなかったので、嫌いではなかったのだろうが。
纏める。私にとっての『ウルトラマントリガー』は、キャラクターや特撮は良くても、文芸面ではいまいちノれない、やや残念気味なウルトラマンであった。
『エピソードZ』の光
そこでこの度配信、公開された『ウルトラマントリガー エピソードZ』である。
TV版ウルトラマントリガーの感想は、前章で述べた通り。なので「トリガー君の苦手な事は全25話の付き合いでよう分かっとるから、得意なことだけ頑張ればいいんやで……」の境地。
正直、さほど期待していなかったのが本音だ。
だが、
だが、
トリガー君、やればできるじゃないか!!!!
劇場版トリガーエピソードZを観る前
— でるた (@delta0401) 2022年3月19日
「トリガー君の得意な事と苦手な事はTVでよう分かったから、得意な事だけ頑張ればいいんやで」
劇場版トリガーエピソードZを観た後
「トリガー君!!苦手な事もちゃんと上手くなってて……」
『トリガー』が作劇上の不得手としていた「ティガの扱い」と「光・闇・人の再定義」。この二点を『エピソードZ』は課題としてしっかり把握しており、劇的に改善してきた。
これにはビックリ。まるで教え子が苦手科目でまさかの結果を出し、第一志望に合格したのを信じられない目で見つめつつもたまらなく嬉しい、進学塾の先生みたいな気持ちにさせられてしまう。
いや~、頑張った、頑張ったよウルトラマントリガー……
・上達したティガ捌き
しつこく述べたが、『ウルトラマントリガー』は、ニュージェネレーションティガを謳いつつ、ティガを扱う手つきがとても下手な番組だった。
「ティガの真髄を継ぐ」とまで謳う番組が、ガゾートを「トモダチ……」と脈絡無く呟くだけのやられ役にするだろうか。キリエル人の骨子である、唯一神教の負の側面を抜くだろうか。メガロゾーア戦でいきなり子供を生やし『ティガ』最終回の上辺だけな再演をするであろうか。するのだ。『トリガー』はそういうことをする番組だった。これでエピソードZの目玉・イーヴィルトリガーに期待しろなんて方が無理だろう。
が、やるのである。ウルトラマントリガーは、最後の最後で確変を遂げる。
イーヴィルトリガーの変身者は、かつてユナと共に地球星警護団の一員を勤めていた超古代人・ザビル。トキオカ隊長としてGUTSセレクトに入隊し、ケンゴに接近したのも、トリガーの力を手中に収める為だった。
3000万年前、闇の巨人達との戦いに疲弊しきっていたザビルは、巨人達の一人、トリガーダークが突然光の巨人となり、カルミラ、ヒュドラム、ダーゴンを纏めて倒す姿を目の当たりにして心が挫け、己の存在意義を喪失してしまう。
このような「光」があるなら、人間の私が一生懸命頑張ってきたのは何だったのか。散っていった仲間達の犠牲は、何だったのか。無駄ではないか。
そうだ、あの、「光」だ。私も、あの光さえ手にすることが出来れば、みんなを、地球を守れた。光だ、もっと、もっと、光を。
影。
「影」とは、光の進行が物体によって遮られた時に発生する、暗い領域を指す言葉だ。
光源は言わずもがな、ウルトラマントリガー。ケンゴがトリガーダークを光の巨人へと反転させ、闇の三巨人を封印したTVシリーズの12~13話。まばゆく、輝かしいヒーロー生誕の光は、居合わせたザビルの無力感をより克明に照らし、彼の心に深い、深い影を落としてしまう。その影こそ、『トリガー』のポスト・イーヴィルティガ、イーヴィルトリガーなのだ。
原典・雛型は勿論、ウルトラマンティガ44話『影を継ぐもの』。こちらのエピソードでは、ティガの変身者であるダイゴへ嫉妬心を燃やし、強引に掌握した光でイーヴィルティガとなり暴走するマサキ・ケイゴの反転性及び、光が力として存在するが故に引き起こされる歪みを象徴的に指し「影」の言葉が引かれていた。これを象徴ではなく、更に踏み込んだ具象として、文字通りの「光が生み落とした影」として大胆に再構築してのけた、イーヴィルトリガーの誕生経緯。
『ティガ』という一級食材にろくな火も通さず、生焼けで客に出す料理店だった『トリガー』が、素材を丁寧にじっくり煮込んだ後、スープを必要な分だけ汲み出すかの如き、繊細な手つきを見せつけた。これだけで感無量なのだが、『エピソードZ』は更なるもう1スパイスを加えてくる。
傲岸不遜で自己顕示欲をこじらせていたイーヴィルティガのマサキと違い、イーヴィルトリガーのザビルは、元々は優しく、正義感に溢れた人物で、「光の力さえあれば、私達人間の手で地球を守れた筈だ」の想い故に歪んでしまった過去が強調されていた。トキオカ隊長を名乗り、真っ直ぐな言動でGUTSセレクトの信頼を得ていたのも決して嘘ではなく、本来の彼の姿が、こちらなのだろう。
「地球は人間の手で守らなければいけない。」そう、『ウルトラマン』の最終回より、連綿とシリーズに貫かれている命題だ。ウルトラマンの結論へ、「人は誰でも光になれる」ティガの結論を掛け算した筈なのに、深い深い闇が生まれてしまう悲劇。これこそがエピソードZなのである。
たまらず膝を打ち、舌を巻く。令和のティガとして、ティガを上辺だけ真似るに甘んじることなく、シリーズ全体の本家取りも加えた上で更に先を目指す気概が、エピソードZにはどっしり漲っているではないか。これこそ『ニュージェネレーション』の『ティガ』に求めていた意気込みだ。本当に君、やればできるじゃないか!!!!!
・一人きりじゃとどかない
『ティガ』の扱いと並ぶ、もうひとつの泣き所である光、人、闇の再定義。ココに関しても、ケンゴと鏡像関係を成す敵・ザビルを迎えた事で、明確かつきっぱりとした『トリガー』ならではの答えが出る。
光に魅せられ、溺れ、闇の如き暴虐の化身となってしまったザビル。純然たる「力」に過ぎない光は、扱う者次第で闇とも紙一重。ザビルのように道を違えない為、光は敢えて人・マナカケンゴとなり、力を振るうに足る資格、すなわち情緒や道徳、人との絆を育んでいく必要があったのだ。
劇場版まで助走しての着地点の割に、いささかありふれてはいる。「力を振るう心の在り方」はアメコミ映画がしょっちゅう問うているし、国産ヒーローでは他社特撮『仮面ライダー』のお家芸だ。
しかし、光・闇・人に対する独自の定義があやふやのまま、都合のいい箇所をティガに委ね、中身があるんだかないんだか判然としない言い回しで乗り切ってきた『トリガー』が、人→光の『ティガ』に対し、光→人でなければならない『トリガー』ならではの意義を、真正面切って宣言した。その姿勢を、私は買う。頑張ったよ。頑張った。
ケンゴが高らかに、熱く叫ぶ「どんな強い光も、ひとりじゃ輝けないんだ!!」の台詞も、たまらなくいい。
「光」に「軍」が寄り添って「輝く」。
「光」とは勿論、ウルトラマンであり、「軍」も当然、防衛軍だ。
光が人となりGUTSセレクトに入隊する事に意義があった『トリガー』のフィナーレのみならず、科学特捜隊、ウルトラ警備隊、MAT、TAC……と55年に渡り紡がれてきた、ウルトラマンと防衛チームの信頼関係をも力強く彫り込んだ、詩碑のような名文句。シリーズ最新の地点から放つメッセージとして、たまらなく力強く、美しい。更に「ニュージェネレーション・ティガ」として、『Brave Love, TIGA』の一節、「たとえ力が強くてもひとりきりじゃ戦えない 強く未来を求めてもひとりきりじゃ届かない」にもさりげなく掛けてあるのは、敢えて言うまでもないだろう。
総評
TV本編を観終えた心に鬱積した「新時代のティガを謳う作品が、この程度で良かったのだろうか……」というモヤつきに行き届き、晴らしてくれる、円やかな光。『エピソードZ』は、そのような最終作であった。
作品評価とは積み重ねていく総合力。一点突破で全てが覆えるものではないし(ケンゴの闇に蓋して逃げ切った感触などは已然、拭えないままである)、『エピソードZ』自体にも「完全新規怪獣はやっぱり欲しかったな……」「Zさん少し割を食っちゃったな」等、気になる所は少しある。
だがそれでも、ファイナルとなる作品で意地を見せてくれたら、心象はグッと上向くのが人情。『ウルトラマントリガー』には厳しい事も言ってきたが、有終の美を、拍手喝采で見送りたい。
最後の君は、紛れもなく『NEW GENERATION TIGA』だった。
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