鎌倉ハム大安売り

観たものや読んだものの感想など

全ウルトラマン大投票1位!『ウルトラマンティガ』の思い出&ベストエピソード5選

 
2022年9月10日、NHK主催による「全ウルトラマン大投票」の結果発表がBSプレミアムにて放送されました。


www.nhk.or.jp

 


『ウルトラマンZ』、強かったですねー。作品部門では"あの"ゼロ師匠を超えた3位、メカ部門では往年の二大人気メカ「ウルトラホーク」「ポインター」を抜きセブンガーが1位、怪獣部門のジャグラス・ジャグラー2位からも『オーブ』での人気をヘビクラ隊長が更に後押ししているのが見て取れ、あらゆる部門に渡り、非常に高い作品人気を見せつけております。
 

私のイチオシ、『ウルトラセブン』は2位。昨今ではファン層の代謝により、界隈に根強かったセブンの神格化も徐々に薄れてはきましたが、こちらもまだまだ強い。かつて6歳の私が『セブン』のシックでアダルティな作風に酔いしれたように、新たにセブンにハマる若い人もいるからこそ、この順位が保たれているのだとしたらとても嬉しいですね。
 

そして栄えある1位は『ウルトラマンティガ』!
デザインの美しさ、作品完成度の高さ、ネット投票において強い票田となる20〜30代へのリーチしやすさ等を鑑みて、ティガ1位の結果自体は読み易かったものの、やはりこうして見せつけられると圧巻。
 

という訳で今回は、せっかくなので稀代の名作・ウルトラマンティガの事でも語っておくか〜と、『ティガ』放送当時の思い出及び、全52話の中でもとりわけ印象深いベストエピソード5選について綴ってみました。
 
 

『ウルトラマンティガ』への懺悔

 
『ウルトラマン80』からの16年に渡る長いTVシリーズ空白期間を経て、満を持しての放送となった『ウルトラマンティガ』。
本作の放送を渇望し、熱く入れ込む古株の特撮ファンは大勢いた。だが、ティガに最も強い思い入れを抱くのはやはり、ウルトラマンTVシリーズ空白期に産み落とされてしまった、現在20代後半~40代前半辺りのファンではないだろうか。
レンタルビデオで観たり、図鑑や絵本で読む「むかしのテレビばんぐみ」だったウルトラマンが、完全新作として毎週我が家にやってくる体験。上の世代のお下がりではない「ぼくらのウルトラマン」が得られる興奮。人気アイドルグループ・V6の長野博くんが主演を勤めることを、普段ウルトラマンと縁の無い女子や母親までもが話題にしている誇らしさ。
全て、全てが掛け替えのない体験だった、筈だ。
 
……「だった」ではなく、「筈だ」と伝聞調にならざるを得ないのには、理由がある。
 
 
実は、私はリアルタイムで『ウルトラマンティガ』を観ていない。
 

当時、小学校高学年だった私は、『ウルトラマン』と『ウルトラセブン』を全話制覇した所で、「近所のビデオ屋にはこれより先のウルトラマンが置いていない」という高い壁にぶち当たっており、『帰ってきたウルトラマン』や『エース』『タロウ』『レオ』『80』といった、昭和2期以降のウルトラマンにどうしようもなく飢えていた。塩を舐めて飢餓を紛らわすように、図鑑やムック本の断片的情報から彼らの活躍を夢想する日々だった。『ティガ』などという、M78星雲の外から突然やってきたウルトラマンなど、全くお呼びではなかった。観たいのはコレじゃないの!と、八つ当たり以外の何物でもない腹だたしさを、『ティガ』の名を聞くたび募らせていたように思う。
母親が「V6の長野くんがアンタの好きなウルトラマンやるで!」と目を輝かせている様を(ハヤタやモロボシダンの方が格好いいし……)と蔑んでもいたし、特撮ヒーローを茶化し傾向にある友人の吉岡くんが、珍しく「ティガめっちゃ面白いじゃん!観ないの???」と尋ねてきても、「俺は昭和ウルトラマンしか認めていない」などと言い張り、頑なに観ようとしなかった。狭量さを振りかざす事で、自分は拘りのある一段上の人間だと周囲へ誇示する、オタクにありがちな恥ずべきスノビズム。
 
私が『ティガ』を観たのは、放送より10年以上も経ってから。

『大決戦!超ウルトラ8兄弟』や『ウルトラマン ファイティングエボリューション3』などの集合作品に触れるうち「お、ティガいいじゃん……ゼペリオン光線も美しい……」と苦手意識が薄れてきた事や、『ティガ』の名作ぷりを熱く語る特撮書籍の記事によって喚起される興味、そして何より、同年代のウルトラファンに「なんでティガ観てないんですか??????」と言われまくった引け目などが後押しとなり、ティガと向き合う決心がついたのだ。
ツタヤでDVDを借りた際、小学生の頃の頑迷だった自分の態度がフラッシュバックしてきて、誰にともなくばつが悪く、自転車をそそくさ走らせ帰宅したのを今も覚えている。
 

10年の時を経て、遂に視聴したティガは、
 


面白かった。
 


面白いなんてもんじゃなかった。

 

心踊る明朗快活な怪獣騒動。ハッとさせられる意識の高い問題提起。失われていく前近代への郷愁。背景の人生が感じ取れる、魅力的な防衛隊メンバー。過去作へのリスペクトを巧妙に折り込んだオリジナル怪獣。『セブン』『80』に負けず劣らず精緻なメカニック描写。作り込まれたミニチュア内で激突する、巨大なるものたち。
ウルトラマンに希求される、おおよそ全ての要素が極めて高いレベルで達成され、全52話の中に、間断なくしなやかに織り込まれており、度肝を抜かれた。
番組全体の雰囲気も、大人びたリアルなムードで纏めてはいつつ、チャイルディッシュでファンタジックな、子供向けヒーロー番組としての趣もおろそかにはしていない。「陽」の『ウルトラマン』と「陰」の『ウルトラセブン』が合わさる事で描かれる理想の太極図を、『ティガ』は、たった一作で描いてみせたのだ。
エピソードの打点も抜群に高い。神回が頻発する。いや、連続さえする。『ティガ』を4話ずつ収録のレンタルソフトで観る場合、必ずどの巻にも2話くらい神回が入っている構成が、大満足の視聴後感をもたらし、次が、次が観たくてたまらなくなる。
初視聴時の私も、オタクが名作を観てしまったとき特有の酩酊に、いてもたってもいられなくなり、特撮好き仲間に電話しては「スゲ〜〜特撮番組があった!!!!ウルトラマンティガっていうんだけど!!!!!」「今更かよ!!観てないのお前だけだよ!!!」とあしらわれつつも、『ゴルザの逆襲』圧巻の特撮パートや、『うたかたの……』が孕むテーマ性などについて、随分夜遅くまで話し込んだりもした。
 

『ティガ』が名作であればあるだけ、同じ分量、いや、それ以上の悔悟が後から押し寄せてくる。
悔いた。深く深く悔いた。
昭和の志をしっかり継いだ上で、一段も二段も先へと飛躍・昇華させたこんなに素晴らしいウルトラマンを、心底つまらない意地を張って観ようともしなかったクソガキの自分を、思いっきりぶん殴ってやりたかった。とりわけ、最終三部作を観た直後、悔悟は頂点に達した。
 
1年間の放送で、丁寧に丁寧に積み上げてきたダイゴとレナのロマンスが、ウルトラマンとして極上のロケーションで結実する『もっと高く!〜Take Me Higher!〜』。

力尽きたティガの見る走馬灯のように、1年間に渡る戦いをハイライトしたエンディング映像が「ティガ、立ってくれ!!」の祈りを最高潮に高め次回へ引く『暗黒の支配者』。

大人達による乾坤一擲のティガ復活作戦も失敗に終わり、絶対絶命のその時、世界中の子供達が、光となってティガを救う『輝けるものたちへ』。
 

こんなの、子供の頃に観ていたら一生の宝物になったに決まってるじゃん!!!
 

『ガメラ 大怪獣空中決戦』より続く平成ガメラ三部作、平成仮面ライダーシリーズ1作目『仮面ライダークウガ』と並び、90年代特撮を代表する万感のマスターピース、『ウルトラマンティガ』。勿論その魅力は陳腐化などしておらず、放送から25周年を迎えた今なお鮮烈だ。
だが、だが、やはり、特撮番組は幼少〜思春期に(それも、出来ればリアルタイムで)浴びてこそなのだ。
衝撃が、感慨が、その後の思考、嗜好に及ぼす影響が、断然違う。

『ウルトラマン』の最終回、ウルトラマンがゼットンに倒されたのが悲しくて悲しくて、泣きまくり、塾を休んだ。

『ウルトラセブン』の最終回、満身創痍のセブンと義手義足のパンドンによる凄惨なラストバトルを彩る『シューマン 第四楽章 イ短調』のCDがどうしても欲しくなり、まだインターネットも無かった時代に必死で曲名を突き止め、お店で注文した。

そういった原体験と共に、ウルトラマンティガを味わいたかった。ましてや『ティガ』最終三部作は、あからさまに、テレビの前でティガを応援する子供を巻き込む目論見で作られている。子供達にとって、最高の視聴体験になって欲しいと。
あの、普段は特撮ヒーローを茶化し気味で、「ティガ!チンポが!今!立たな〜い〜♪」としょうもない替え歌を歌っていた吉岡くんですら、最終回の放送後は「ティガヤバかった。ヤバいヤバい。ティガの最終回めっちゃヤバかった……」と、拙い語彙ながらもいつになく真剣な調子で、ティガの話をしていた。
今なら分かる。吉岡くんは、あの時、テレビの前で、光になっていたのだ。他にも、ティガ最終回の話をしていた子が、教室には何人もいた。彼らも、光になっていたのだろう。それなのに、ウルトラマンが大好きだった筈の私は、光になれなかった。
 

『ティガ』の事は勿論、今は大好きである。しかし、ティガに触れるたび、特撮ファンとして痛恨の汚点が燻ってしまい、胸が焦げつく。
眩すぎる光は、覆い隠したい過去の汚点も暴いてしまうのだ。
 

私が選ぶウルトラマンティガ・ベストエピソード5選

 

さて、昔の事は忘れて本題に入ろう。

犬も歩けば神回に当たる『ティガ』から5話を選ぶのは至難であり、今回の記事を書くべくツブイマでティガを観返したところ、11話の時点でもう神回が5つ出てしまったのには頭を抱えたが、なんとか5話、自分らしいラインナップを絞り込む事ができたと自負している。「○○が入ってないぞ!!」「✕✕はどうした!!」と異論はいくらでもあると思いますが、ご容赦ください。
 

それでは5位から。
 

第5位 5話『怪獣が出てきた日』

 
浜辺に漂着した巨大生物の腐乱死体。物的損害こそないものの、近隣住人からは悪臭がひどいと苦情が出ており、水質汚染も懸念される為、GUTSに出動要請が下る。
怪獣の死体撤去。未だ誰も体験したことのない難ミッションの行方は――
 
何処かで聞いたような話。
少し前に、似た題材の映画をやっていたような……

amzn.to


本エピソードの持ち味はリアリティ。
怪獣の死体が残されれば、当然、処理業務が発生する。周辺からは苦情も出る。
この着眼点が実に秀逸だった。
GUTSウィングにて死体を懸架し洋上で処理しよう、だが出力が足りない、ならば武装を外してブースターを装着してはどうか、と綿密な討議が交わされるミーティング描写も緊迫感に満ち、ディテールの彫り込みが一味違うなと、開始数分で唸らされる。
死体撤去にしくじるたび、マスコミによって失態が逐一報道されてしまい、メディアにてコメンテーターや市民から好き勝手に糾弾されてしまうのも秀逸(劇中報道番組が、またいかにもソレっぽい)。「怪獣が出る日本の世論」を、巧みなカリカチュアを交えながらシミュレートしてみせるのも、これまでのシリーズに無かった切り口であり、まさに、新時代のウルトラマンに相応しい『ティガ』ならではのリアリティラインを、本エピソードは確立してのけたのだ。
上記の要素だけで既に、『怪獣が出てきた日』は傑作回だと呼びたいのだが、更に、本作の冒頭と末尾を飾る、堅物な副隊長・ムナカタと、食わせ物風なジャーナリスト・オノダの掛け合いも見どころ。立場は違えども己の職業に誇りを持つ大人同士の、シブく、爽やかな交感の末に待つ、ナレーションの一言……!優れた特撮番組は、ユーモアも忘れないのである。

「怪獣を捨てに行く」という題材の本エピソードは、初代ウルトラマンの34話『空の贈り物』及び35話『怪獣墓場』からインスピレーションを得ており、登場するゾンビ怪獣シーリザーも、スカイドンの「重い」に対し「臭い」、「骨だけの亡霊」であるシーボーズに対し「肉のあるゾンビ」というコンセプトになっている。このように、『ティガ』には過去怪獣のスピリットを巧妙に継承した、精神的二代目とでもいうべき怪獣が多数出現した。人気の過去怪獣をそのまま出現させる近年のウルトラシリーズでは役目を終えた感のあるリスペクト形態だが、こういうのもまた、粋なものであった。
 

第4位 32話『ゼルダポイントの攻防』

 
ラルゲユウス、ヒドラ、ギエロン星獣、ブラックピジョン、フライングライドロン、ザンドリアス……
 
昭和の世から「鳥モチーフの怪獣は泣ける」という風潮がウルトラシリーズには根強くあったのだが(私が言っているだけかもしれないが)、平成の世にも、涙無しには語れない鳥怪獣が誕生した。

シーラ。北海道の羅臼岳から出現したこの巨大怪鳥こそ、本エピソードの登場怪獣にして主役。攻撃を受けても全く引かない捨て身のファイトスタイルや、醜く爛れた容貌が僅かに残す愛玩鳥の面影、軍部によって秘匿される廃棄物貯蔵地「ゼルダポイント」を一心不乱に目指し飛翔してくる行動パターンと、シーラが「何かを背負った怪獣」であることが、番組早々、直感的に察せられる。

そして、もう一人の主役が根津博士。彼こそがゼルダポイントにて封印されている有害物質・ゼルダガスの開発者であり、新型エネルギー資源としての効率に目が眩んで危険性を見抜けず、一人娘・アサミを爆発事故で死なせてしまった暗い過去を持つ。この事故に巻き込まれながらも生き延びたアサミの愛鳥・シーラが後遺症による突然変異で凶暴な怪獣となり、私に復讐に来たんだと博士は語る。

根津博士を演じるのは名優、寺田農さん。『ウルトラマンマックス』のメトロン星人や、『仮面ライダーW』の園咲琉兵衛といった印象深い役柄で特撮ファンにもお馴染みですが、本作の根津も悲壮感溢れる名演ぷりで、エピソードの完成度を何倍にも高めてくださっています。そして、若い!『ティガ』は90年代の作品だけに、今観ると寺田さんの若さにビックリ。流石に黒澤映画の『用心棒』に出ていた時ほどではありませんが……

GUTSの攻撃を受け、ティガの攻撃を受け、息も絶え絶えになりながら、最後の命を燃やすようにゼルダポイントを目指すシーラ。
学会を追われ、大病を患い、ひたすら20年間、自身の生み出したゼルダガス中和の研究に身を砕いてきた根津。
「何もかも終わりになんかならない。これからも出来ることがあるよ。」アサミの言葉を胸に刻んで生きてきた、一匹と一人の想いが、ゼルダポイントにて邂逅した時に起こる奇跡。
もう、何度観ても、何度観ても泣けるんですよラストシーン。私もそうなんですが、とりわけ、過去にペットを飼った経験のある人なら、覿面に、深々と刺さるエピソードではないかなと。
『ティガ』は作風が幅広いため、"神回"もそれぞれの部門毎に存在するのだが、泣ける神回といえばやはり、『ゼルダポイントの攻防』だろう。
 

第3位 16話『よみがえる鬼神』

 
「本当にこっちでいいのか?」「もうすぐ着く」「もしガセネタだったらこの山の中に埋めちまうからな!」

お宝の気配を嗅ぎつけ、伝説の妖怪・宿那鬼が封印されていると言い伝えのある山へやってきた、遺跡荒らしの常習チー厶。祠に祀られていた、化け物退治で名を馳せた剣豪の像と刀を、三人は意気揚々と盗んでいく。その夜、見回りをしていた地元の駐在は、怨嗟の叫びと共に山から生えてくる鬼の腕を目撃し――

『ゼルダポイントの攻防』を泣きの神回とするなら、『よみがえる鬼神』は笑いの神回。
やることなすことコントじみた遺跡荒らし三人組が、復活した侍・錦田小十郎景竜の霊に翻弄される前半部と、大雑把でいい加減な景竜に、ダイゴが辛辣なツッコミを加えながら宿那鬼を探す後半部で構成される、『ティガ』には珍しいコメディエピソード。ダイゴが何の前触れもなく、唐突に、景竜に対してだけは手厳しいツッコミキャラ化するのがめっちゃ面白いんですよ。彼があんな一面を見せるの、全編でもここだけなので貴重です。
この回の、もうひとつの持ち味が伝奇ムード。封印されし山奥の祠、夜道に佇む地蔵といった情景で雰囲気を盛り上げ、BGM代わりに和楽器の旋律を多用し、映像にもJホラーチックなフィルタリングを施してある念の入りっぷり。あの手この手で封印されし妖怪・宿那鬼と侍の伝承を彩り、前述のコメディ描写との合わせ技で『ティガ』を全く別の番組のように変貌させている。妖怪に寄せた造形・出自の怪獣自体は『エース』や『タロウ』で定着した昭和2期の風物詩であるが、作品のタッチをガラッと変えてしまうまで、徹底的に"狐狸妖怪もの"をやったのは、ウルトラシリーズでも本エピソードが初だ。

多彩な変化球で視聴者を翻弄する『よみがえる鬼神』だが、ラストシーンでは一転、目の覚めるような直球をミットのド真ん中に投げてくる。捕球したダイゴも視聴者も、たまらずよろめき、受けた手が痺れてしまう程に、ウルトラマンの本質を射抜く豪速球。
さて、新時代のウルトラマンである『ティガ』は、この問いに、どう答えを出してゆくのだろうか。

「強者は常に孤独だ。強者は勝ち続けなければいけない。その為に孤独になる。耐えられるかな……?」
 

第2位 38話『蜃気楼の怪獣』

 
「ラトクリフ波止場の幽霊」をご存知だろうか。
イギリスの雑誌編集者が「ラトクリフ波止場は凄惨な殺人事件が起きた場所であり、今も死者の霊が出る」と作り話をでっちあげ、誌面にて掲載してみたところ、本当に波止場で幽霊を目撃する者が頻出するようになった、という逸話である。

このオカルト実験を、ウルトラマンでやってみたのが『蜃気楼の怪獣』だ。
連日のようにGUTSへ寄せられる、市民からの怪獣目撃通報。作戦室では一日中コールが鳴り止まず、ついにはダイゴまで、パトロール中に怪獣を見たと言う。
だがイルマ隊長だけは、この一件が情報局のエリート・タツムラ参謀主導の元に行われた、噂による群衆の統制実験に端を発する騒動だと知らされている。つまり、怪獣など初めから存在しない。不安に駆られた市民がトップダウン処理(注1)を起こしているだけだ。証拠に、物理的な被害は一切出ていない……筈だったのだが、作戦室のモニターは、都市部を破壊する怪獣・ファルドンの姿をくっきりと映し出す……
じくじくと高まる現場の不和。真と嘘の境界線の喪失。人間の不安や罪悪感が、臨界点を超えて具現化してしまった実感。本作は全編、これでもかと不気味なトーンで貫かれており(事件が解決するラストシーンまで、爽快な劇伴も一切流れない徹底ぷり)、『ティガ』でもトップクラスの怪奇譚へと仕上がっている。軍部の謀略が、巷で囁かれるアーバン・フォークロアとなり、遂には実体を持った怪獣へと進化してしまう(注2)、オカルティズム溢れる筋書きがたまらない。
そして『蜃気楼の怪獣』がもうひとつ打ち出してみせたのが、「ウルトラマンの防衛軍は、どこまで権力を行使してよいのか?」という問題提起だ。
「パニックに陥る群衆を統制できれば、イレギュラー要素がグッと減り、怪獣撃破の円滑な遂行に繋がる」と計画の発案者、情報局のタツムラ参謀は大義名分を掲げる。
しかし、その為の実験として、防衛軍が架空の怪獣の噂を流布し、市民の不安を煽るなど本末転倒であり、倫理面でも決して許されることではない。更にイルマ隊長が指摘する通り、軍の主導による情報統制は、ミリタリズムを招きかねない危険性を孕む。緊急時に強い有形力を行使できる組織というのは、それだけで本質的に危ういのだと、制作陣がウルトラマンの防衛軍へ向けた内省的な視点に、思わずドキリとさせられる。

守るべき対象を衆愚と見下し、情報統制を目論むタツムラ参謀の理念は非難され、ラストシーンで彼は連行されていく。
だが、悪とされた「民衆が足を引っ張らなければもっと早く怪獣を倒せるのに」という思想は、他でもない、特撮作品の視聴者目線に極めて近い。今ミサイルを撃ち込めば怪獣を撃破できる。しかし、逃げ遅れた市民が怪獣の足元に居て撃てない……こんな状況でフラストレーションを感じ、舌打ちが出掛かる事が、怪獣特撮を愛好している者なら、一度や二度はあるのではないだろうか。私にはある。「馬鹿が指示に従わないせいで」と。
『蜃気楼の怪獣』に出会って以降、怪獣ものやゾンビもの、ディザスター・ムービーを観ていて、事件解決の足を引っ張る愚かなキャラクターにイラつくたび、私はタツムラ参謀のことを思い出し、ばつの悪い気持ちになってしまう。『蜃気楼の怪獣』は、都合のいい傍観者であった筈の、こちらの罪をも暴きにかかるのだ。
観るものに「気づき」の爪痕を遺す、非常にティガらしい一編である。
 
注1 トップダウン処理……あらかじめ与えられた情報が人間の認識に影響を与え、望み通りの結果を幻視・錯覚させてしまう心理効果。

注2……本作『蜃気楼の怪獣』は、脚本家の大西信介氏が『ウルトラマン80』の時に円谷プロへ持ち込んだ脚本が、なんと16年ぶりに採用されたという経緯がある。ファルドンの出自が、どことなくマイナスエネルギーを想起させるのはそのため。
 

第1位 25話『悪魔の審判』

 
今回、『ティガ・ベストエピソード5選』を書くに当たって、私は自らに縛りを課した。

キリエル人二部作の『悪魔の預言』『悪魔の審判』、
イーヴィルティガ二部作『地の鮫』『影を継ぐもの』、
そして最終三部作『もっと高く!〜Take Me Higher!〜』『暗黒の支配者』『輝けるものたちへ』。
この中からは選ばない。
というのも、これらは誰がどの角度から見たって神エピソード。
順当過ぎて面白くないでしょう。
 
……

 
と、思っていたがやっぱり無理でした!すいません!
いやだって、『ティガ』名作5選を謳ってここからどれもピックしないのは、MTGに例えるなら、ドラフトで流れてきたボムレアを取らずそのまま下座へ流してしまうようなもの。ポケモンに例えるなら、600族や準伝を一体も入れずにガチパを組むようなもの。どうやったって只の逆張りになっちゃうんよ。
 
という訳で私の選ぶウルトラマンティガ・ベストエピソード、第1位は、25話『悪魔の審判』。
 
いきなり敵側の話から入ってしまうが、キリエル人が悪役として最高に素敵だ。
『ティガ』のメインライターでもある小中千昭氏曰く「キリエル人は中世から悪魔として芸術に描かれ、観察されてきた存在」との事だが、その名にKyrie(主よ)を冠し、翼で空を飛び、傲慢ながら天使や救世主を自称し、そして「悪魔」の歴史――シュメールの豊穣神・バアルがキリスト教圏で蝿の王バアル・ゼフブへ堕とされたり、ダーウィン主義が神智学において、人間を唯物主義に取り込み堕落させるアーリマンの仕業とされたりと、敵対宗派を貶めるための相対概念としても用いられてきた歴史だ――が、「キリエル人だって、もしかしたら本来は……」という可能性も微かに仄めかしており、非常にオカルト魂を擽られる。戦闘モードのキリエロイドⅡが、ティガのタイプチェンジに対抗して形態変化するのもたまらない。

本編の話に入ろう。斯様なオカルティズムで彩られたキリエル人だけに、ウルトラマンへの挑戦も、凡百の侵略者とは一線を画す。彼らが仕掛けてくるのは「宗教戦争」だ。
神霊の如き御姿で東京上空に降臨したキリエル人は、「天使」として人間から信仰を集め、教義を布教させ、信奉者を爆発的に増やし(注3)、ティガが「悪魔」と糾弾される世界を創り上げてしまう。
ここが本エピソードの肝なのだが、キリエル人は信仰の獲得にあたり、強行手段に訴えている訳ではない。息子を亡くした喪失感からキリエル人に縋った老婦人(イルマ隊長の姑さんという厄介な立場であり、嫁姑間で繰り広げられるヘビィなドラマも見所だ)が信徒のモデルケースとして描かれているように、いざという時だけ怪獣から守ってくれるティガよりも、縋りつけばあらゆる苦悩から解放してくれるキリエル人の救済を選ぶ者が、社会に大勢いただけの事なのだ。
怪獣や星人と無関係な個人の苦悩は、そもそもウルトラマンが救済する範囲ではない。しかし、それでも超常的存在による救済に縋りつかないと立てない人間こそが、「ウルトラマンが居る世界における弱者」なのだと、『悪魔の審判』は克明にあぶり出してみせる。
 
だが、『悪魔の審判』が描くのは、人の弱さばかりではない。
人間の強さを信じ、戦いに向かうダイゴ。祈りに似た約束を添え、ダイゴを送り出すレナ。ティガをもう一度信じてくれと、民衆に呼びかけるイルマ隊長。そして、何かに縋り手っ取り早く得られる救いなどまやかしだと気付くことができた、市井の人々達。
車のライトでも、ビルの照明でも、懐中電灯でも、ペンライトでも、なんでもいい。形や量に囚われない、自分だけの光を持ち寄った民衆がティガを照らす様は、「誰の心にも光がある」という観念を、直感的かつ暖かな映像として出力してみせた屈指の名場面であり、人間の善性や克己心を信じてみる前向きな気持ちを、優しく、じんわり喚起してくれる。懊悩と鬱屈に苛まれる人生であったが、こんな私でも、周囲の人に少しだけ支えてもらったり、苦境を跳ね除けるフィクションのヒーローに勇気付けられたりして、今こうして生きているはないかと、内に小さな太陽が現れ、身体の芯を照らしてくれているかのように自己肯定の気持ちが湧いてくる。ウルトラマンを観ていて得られる効能として、これ以上のモノは無いだろう。『悪魔の審判』、堂々の、ティガNo1エピソードだ。

復活したティガによってキリエロイドⅡは打ち倒され、闇は祓われる。
最終回の如きスペクタクルからの大団円を迎えた『悪魔の審判』だが、エンドロール入り直前、棄てられたキリエルの羽を大事そうに拾っていく、一人の女性を映し出す。
つい先刻、自分の力で立ち上がれる人間の強さに胸を打たれておいて何だが、奇跡を目の当たりにしても変われない、弱き者がいることにも、私は、一抹の安心を覚えてしまうのだ。貴方はこのラストに、どのような想いを抱いたであろうか。

注3……カルティストが跋扈し、地獄の門が開きかかる本エピソードが放送されたのは1997年。急成長を遂げた新興宗教団体・オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、世紀末を目前に控える日本社会に陰鬱な終末思想が沈澱していた、あの頃である。
 

おわりに

 
ウルトラマンティガのベストエピソード5選、いかがだったでしょうか。
 
『オビコを見た!』が入っとらんじゃないか!
『拝啓ウルトラマン様』はどうした!
『うたかたの…』は鉄板だろ!
『永遠の命』は!

 
等々、本当にいくらでも異論があると思います。
スタンデル星人とおばあちゃんの交流が暖かい『赤と青の戦い』、息を呑む対怪獣作戦が繰り広げられる『ゴルザの逆襲』、巨匠・実相寺監督がメガホンをとった『花』『夢』、そして最終回直前のご褒美『ウルトラの星』辺りも私は大好きなのですが、僅差で泣く泣く、今回のベスト5からは外しました。
 
エピソードの層がとんでもなく厚い『ウルトラマンティガ』。既に愛好している方も、これから観る方も、是非とも一度、自分だけのベストエピソード5選を考えてみて下さい。良環境が達成されているTCGでデッキを組む作業の如く、何を入れて何を抜くかで悩むのがメチャクチャ楽しいので……俺のベスト5はコレや!と決まったら、是非ともリプライやコメ欄などで教えて頂けると嬉しいです。
 

そして、最後に一言。
 

ティガ、やっぱり、リアルタイムで観たかったよ!!!!!
 
 
 

関連商品

 

まずは本編。


昭和4作品、平成三部作、そしてメビウスの記念すべき共演映画。主演の長野博さんを筆頭に、今見るとキャストがトンでもなく豪華。


『ティガ』当時はまだ助監督だった、八木監督による著書。キャスト、監督、脚本家と多方面へのインタビューが充実しています。全体的に和気藹々としたムードが流れていて微笑ましい。


切通理作氏の名著、『地球はウルトラマンの星』からティガ部分だけを切り出した再編集版。私はティガ、ダイナ、ガイア合同の旧版しか持っていませんが、ティガ目当てならこっちでいいのかなと。


プロデューサーの笈田雅人氏、デザイナーの丸山浩氏、脚本家の小中千昭氏による『ティガ』立ち上げ時の回顧録が必読もの。『仮面ライダークウガ』や『ガメラ 大怪獣空中決戦』の中核スタッフによる耳寄りなインタビューも取り揃えており、これら90年代後期の傑作群を愛好する特撮ファンなら是非とも読んでおきたい一冊。本当に名著なのですが、プレ値気味なのが痛い……


安定のソフビ。


可動しないフィギュアーツのティガ。割引率がすごいのでそろそろ買いそう。


人は誰でも光になれる。