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オトナ向け特撮の懊悩 『仮面ライダーBLACK SUN』感想 


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Amazon.co.jp: 仮面ライダーBLACK SUNを観る | Prime Video

 

大人の特撮ヒーロー作品。
 
特撮ファンなら誰しもが、長年心に抱いてきた悲願である。


……
 
「誰しも」は主語が大きすぎたかもしれない。
断言調だと書き出しに弾みが付くのだ。大目に見て欲しい。
 

大人の鑑賞に耐えうる。
即ち「扱うテーマが高尚で、深遠で、示唆に富むものであればあるほど良い特撮」との、かつて大正義の如く叫ばれていた主張も、今ではさほど耳にしない。
昨今はもっぱら、玩具販促や児童人気獲得を目的としたチャイルディッシュな作風にも目くじらを立てず、「子供番組は子供番組なんだから、子供番組として楽しめばいいじゃない」と受け入れるのがトレンド。当時のマニアから"大人の鑑賞に耐えない"と一段低く見られていた作品群(注1)のファン層が発言力を持つようになったのも加わり、「大人の鑑賞に耐えうる」は、面倒くさそうなニュアンスを帯びた、どちらかといえば嫌厭されがちなフレーズとして、隅に追いやられることとなった。

注1…『帰ってきたウルトラマン』以降の昭和ウルトラ2期作品や、東宝チャンピオンまつり期のゴジラ作品等。この時期の作品を特集したムック本や評論の多くが「上の世代からはボロッカス叩かれたが……」と前置く傾向にあり(この帯のアオリで雰囲気は伝わると思います)、当時の界隈における扱いが察せられる。
 
とはいえ「大人の特撮作品」が、全く求められなくなってしまった訳ではない。
 
2016年に公開された庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』が、特撮作品なんて普段観ない人達をも巻きこむスマッシュヒットを飛ばした時の、特撮ファンの湧きっぷりからは、「特撮は子供が観るものな風潮を見返してやった。大人が観たって面白いものなんだ」という誇らしげな気持ちが、それはもう、とめどなく溢れ出ていた。
他シリーズに話を広げるなら『ウルトラマンネクサス』『仮面ライダーアマゾンズ』辺りが分かりやすいだろうか。これらの作品群が「特撮は子供向けって思われがちだけどコレは違うんだぜ〜」のニュアンスをぷんぷん滲ませながら語られている光景は、今もそれなりの頻度で目にする。ツイッターでは今日も元気に「〇〇歳で特撮が好きって、変ですか?」といった旨のpostが伸びている。

やはり、ある。特撮ファンには、大なり小なり、ある。
私にだってある。
愛してやまないジャンルが「子供の観るものでしょ???」と扱われてしまうコンプレックスが。
世間を見返してくれる、「大人の特撮作品」を欲する希求が。
長年に渡り、撹拌しても撹拌してもわだかまり続けるこの想い。
宿痾、と言ってしまってもいい。
 
 
「大人の特撮作品」に囚われているのは、消費者である特撮ファンだけではない。
作り手もまた、「大人の特撮作品」を夢見て、様々な作品を送り込んでいった。
 
東映の名物プロデューサー、白倉伸一郎氏もその一人。
 
善悪二元論に懐疑的な作風や、美男美女キャストの積極的登用、連続ドラマ性の強化などにより高年齢層への訴求力を高め、『平成仮面ライダー』を一大ブランドへ押し上げた白倉Pであったが、満を持して「大人の仮面ライダー」へ打って出ると、いまひとつ成果を上げられない。
初代仮面ライダーをリブートした『仮面ライダーTHE FIRST』では韓流恋愛ドラマ、続編の『THE NEXT』ではJホラーと、一般の大人にもウケているジャンルコード(注2)をライダーに被せてみたが、失敗。
『仮面ライダーアマゾンズ』も、リミッター解除した本気の小林靖子を楽しめる傑作には仕上がったものの、レンジ外には広がらず、普段ライダーを見ている層が楽しんだだけに留まった。
海外ドラマ枠で勝負した『KAMEN RIDER DRAGON KNIGHT』は「びっくりするほどウケませんでした(笑)」と本人直々に認めているし、若手時代にプロデューサーの一人として参加されていた『真・仮面ライダー』も、序章から30年経つのに第一章が始まらない。

注2…韓流恋愛ドラマはまだ分かるが、特に一般ウケしていなかったJホラーの皮を被る意味が全く分からない。しかしスタッフの士気は高かったのか、ホラー部分が無駄に怖く出来上がっており、ライダーもJホラーも好きな私にとって『THE NEXT』は唯一無二のカツカレー映画と化した。
 
そこでこの度の、仮面ライダー誕生50周年企画の一角、『仮面ライダーBLACK SUN』である。

大人向けを標榜し、普段のキッズ層ではなく一般層をターゲッティングした先行作品群の敗因を「いつものスタッフで一般受けを狙うと気負い過ぎて裏目に出る」と分析した白倉Pの一計により、『BLACK SUN』は東映ではなく、大映角川スタジオによる外部制作となった。
そして、監督に招かれたのが白石和彌監督。
近年話題になった大好評のヤクザムービー『孤狼の血』シリーズを初め、『日本で一番悪い奴ら』『凶悪』といった実録犯罪モノ、『ひとよ』『凪待ち』『彼女がその名を知らない鳥たち』のような人間ドラマ路線まで、見応えのある映画を沢山撮ってきた、あの白石監督である。
この方の作品は普段からよく観るので、「えっ仮面ライダーを???あの白石監督が???」と、初報時点で大興奮の人選だ。
更に、豪華なベテラン俳優陣。
西島秀俊さんが南光太郎を!?!?中村倫也さんがシャドームーンを!?!?

否が応にも期待は高まる。
見届けねば。令和の世に蘇った、黒き太陽と影なる月の対決を。
見届けねば。大人向けライダーへの新たな飛翔を。
数々のイカロス達が、距離を見誤り、掴めずに墜ちていった太陽を、『BLACK SUN』ならば、その手に掴めるかもしれない……!
 

 

『BLACK SUN』ここが良かった

西島秀俊さんの光太郎

まず、主演の西島秀俊さん。
アカデミー長編映画賞受賞の話題作『ドライブ・マイ・カー』にて、妻を喪った傷心の演劇俳優・家福を好演され、『シン・ウルトラマン』においても禍特対班長・田村として存在感を示し、なんかここんとこ続けて西島秀俊観てるな……あ、観てないけど『きのう何食べた?』もか。西島秀俊イヤーか?????といった具合でしたが、本作の主役・ブラックサンこと南光太郎も素晴らしい。
人間と怪人によるデモ隊の衝突を、一瞥もせずトボトボと立ち去っていく様子や、怪人差別撤廃を訴える国連スピーチ中継をよそに、具合の悪い左脚へケタミンを注射し呻く姿は、「分断されていく世界はもう変わらない」という深い諦念を、台詞など一切用いずとも完璧に伝えてくる。
その一方で、行きずりに助けた少女・葵との触れ合いで見せる柔らかな表情や、彼女にかける不器用ながらも温かい言葉からは『レオン』『アジョシ』、それこそ西島秀俊さん主演の『ドライブ・マイ・カー』のような、ガール・ミーツ・おじさん成分も摂取できるし、そしてなんといっても変身シーン!
仮面ライダーブラックといえば、指抜きグローブを嵌めた両の拳がギリギリギリ……と軋む程に気合を溜め込んでから、風を切って解き放つ変身ポーズ。私もブラック世代なので、子供の頃に真似しまくりました。あの伝説的変身ポーズ及び「ゆるさん!!!」の一喝を、西島秀俊さんが、全力で、微塵の照れもなくやり切っていて、これがもう、物凄く様になっている。格好いい、格好いいぜ西島さん……
南光太郎といえば既に倉田てつをさんという、物凄くハマっていた役者がいるが、西島秀俊さんの光太郎も素晴らしく、新しい光太郎が西島さんでよかったと、心から思える配役。
 

中村倫也さんの信彦

そして秋月信彦・シャドームーンの中村倫也さん。
中村さんのことは『屍人荘の殺人』や、『水曜日が消えた』、白石監督映画では『孤狼の血』の出頭してくる若ヤクザや『日本で一番悪い奴ら』のあたふたした新米刑事などで、フレッシュな俳優さんだな~と気に入り、印象に残っていたのですが、ここに来て仮面ライダー出演!
そして西島さん共々、いやそれ以上に変身が素晴らしい
憤怒を、怨嗟を、激情を一挙一動に込めて解き放つ、ブラックサンと鏡合わせの変身ポーズは作中三度披露されますが、いずれもヒロイックフレームと呼ぶに相応しいキマりっぷり。芝居が達者で、ドラマや邦画にも出まくっている俳優さんが、ライダーに来たら変身ポーズまでも上手い。これは、これは好きになってしまうぜ中村倫也……
あと中村さん、アジテーショナルな台詞回しがめちゃくちゃ上手い。信彦が怪人解放スピーチを行う場面が、本作の看板PVとして用いられたのも納得。活動家としてのカリスマがしっかり表現出来ているからこそ、本心から望んでいたのはもっと小さな幸せだったのに、不釣り合いな才能が備わってしまった信彦の悲哀へ、より深い陰影がつくというもの。
『仮面ライダーブラック』の信彦って、空虚なキャラなんですよ。シャドームーンが悪ライダーの草分けとして絶大な人気を誇る一方、信彦としては出番も僅かしかなく、視聴者も思い入れが持てない。
なので『BLACK SUN』の信彦が、怪人達からカリスマとして持ち上げられるも、実際は受け売りの思想で何かになろうと足掻く中身の無い奴だった顛末、なんだかメタ的に物凄く重なっちゃう。「光太郎、俺はあの頃に戻りたい……」の切なく矮小な本音も、仮面ライダーブラックED曲の一節、「古き良き時 long long ago 20century」に接続されてしまって……
こういった、根は居場所を求めていただけのキャラクターに、私は、弱い。
 

ビルゲニア


「どいつもこいつもブラックの話をする時はシャドームーンシャドームーン!なんでや!創世王の贔屓が無いとブラックに全然敵わないシャドームーンよりも、サタンサーベルの試練を実力で突破し、終始ブラック相手に互角だった剣聖ビルゲニアの方がカッコいいやろ!!」
と、『仮面ライダーブラック』を観ながら白石監督も思ったかどうかは知りませんが、『BLACK SUN』ではビルゲニアの扱いが妙にいい。
かつて理想に燃えていた彼が、いつしか弱者を虐げる"悪"になってしまっていたことを失意の中で悔い、全てを失った自分に出来る事を考えた末、葵のために孤軍奮闘し死んでいく。
最も大きな変化が与えられているキャラであり、意図的に「死」をヒロイックに描かない本作中、唯一、前のめりでカッコよく死ねたのがこのビルゲニア。『ブラック』ではシャドームーンにあっさり奪われたサタンサーベルが、最後までビルゲニアのアトリビュートであり続けた所に、白石監督からの深い愛を感じます。向き合い過ぎでしょう、ビルゲニアと。
「ビルゲニアの行動原理がよくわからない」という感想をそこそこ見ますが、こいつ、創世王の側に居られる事のみを基準に陣営を選んでいるので、実はブレてないんですよね。
恐らくビルゲニアも、幼き日に朽ちた社で創世王と会い、頭をそっと撫でてもらったんじゃないだろうか。光太郎と信彦は怖くて逃げちゃったけど、ビルゲニアはその掌から暖かみを感じ、嫌なことがある度に創世王に会いにきて励まされるうち、俺はこの人の騎士になるんだと固く誓ったみたいな……
まあ、行間を読むというより妄想、二次創作の域だが、憑き物が落ちた後に垣間見える素の性格からして、初心はピュアなものだった筈。胸中や過去につい思いを馳せたくなる、良いキャラ。
 

仮面ライダーブラック要素

元番組『仮面ライダーブラック』からは大きく作風を異にする『BLACK SUN』だが、『ブラック』を観ている人なら思わずニヤリと口元の緩む描写が、意外な程に沢山詰め込まれているのも本作の楽しさ。
アネモネ怪人は第20話『ライダーの墓場』よろしく、ブラックサンの変身を不能にする花粉フィールドを形成する。カニ怪人は第13話『ママは怪獣養育係』にならって、子供と親の絆を軸にしたエピソードに登場。ノミ怪人も第4話『悪魔の実験室』を踏襲し、人間を怪人へと改造する計画に加担した。三神官から呆れられ、しょっちゅう叱責されているコウモリ怪人も原作での立ち位置をよく押さえているし、クジラ怪人は勿論、傷ついたブラックを海の隠れ家へと運ぶ。
貝の容れ物に入った、一族に伝わる生命のエキス(なんか黄色い)をジョボジョボかけると、台からジュワ~っと焼き肉みたいに煙が吹き出しブラックの傷が癒えていく復活シーケンスが、ちょっとおかしい執念で以て再現されている様は必見だ。かけてあげてくれ……

極めつけが最終回のOP。急に劣化する画質!左右に開く倉庫のドア!一歩一歩踏みしめるように歩いてきてバトルホッパーにまたがるブラックサン!ふかすエンジン!灯る両目!聴きまくったあのイントロ……!
私も含めた、TLの配信日徹夜一気見勢が、空も明るくなってきた頃、最終回に差し掛かるやいなや「何を見ているの???何を見せられているの?????」と集団幻覚状態に陥っていったのが忘れられない。そんなに仮面ライダーブラックが好きになったのか、白石和彌……
 

テレレレー

言わずとしれた本作『BLACK SUN』のメインテーマ。荘厳なサウンドと共に、歴史の激動を捉えた白黒写真が舞うOPは雰囲気バッチリで、何度観ても素晴らしい出来。本編でも劇伴として場を盛り上げます。
 

『BLACK SUN』ここは良くなかった

差別問題への踏み込みが浅い

メインテーマとして「人種差別」を俎上に載せた本作。
白石和彌監督が露悪的な作風を得意とするのに加え、レーティングもR18+なので、陰惨で苛烈な怪人ヘイト描写が、もうこれでもかと繰り広げられる。
飲食店に入れば「怪人は臭いから来んな」と言われ、バスに乗れば「臭いから乗んな」と絡まれ、道を歩けば「臭いから端っこを歩け」と罵声が飛ぶ。勿論暴力沙汰にも発展し、ハエ怪人は怯えた警官に射殺され、サイ怪人は燃やされ、新海誠監督の最新作『すずめの戸締まり』は絶賛公開中ですが、スズメ怪人は戸口に吊るされてしまいます。

だが、描写がドギツいからといって、本作が差別への深い問題提起たり得ているか?と言えば、そうでもないのが困りもの。

生物兵器としては失敗でも、怪人が並の人間より危険なのは事実だ。ヒートヘブンに強く惹かれてしまうのも「やっぱり食人嗜好があるんじゃないか?」と疑わしい。実は非常に歴史の浅い人工種族だったりもするので、現実の差別問題をフィクションに仮託・風刺したい狙いにしては、ノイズが多過ぎて無理がある。
差別する側の心理も掘り下げられないので、「メチャクチャ悪い人達が、メチャクチャ酷いことをするので、差別はダメゼッタイ!」という、道徳の教科書レベルの問題提起に留まってしまっているのは、令和4年の成人向け作品として、やや陳腐だ。
同じく差別意識を題材にし、「体臭」にスポットした映画『パラサイト 半地下の家族』が、上流階級を露悪的には描かず、むしろいい人達として描写しきった上で、下層階級との間に横たわる断絶を「臭い」の静かな一言に込めた重みに、遥かに満たない。
『ゲット・アウト』『NOPE』等、エンターテイメント映画に黒人差別の歴史を織り込む手つきで高い評価を得ているジョーダン・ピール監督が抱く、「でも黒人だって、自分より下の階層がいたら無自覚に酷いことをするよね」という内省的まなざしにハッとさせられた後だと、在日コリアンや黒人が無条件で怪人に優しい『BLACK SUN』の価値観は、シンプルに過ぎる。そんな単純なもんじゃないだろう。
なんなら本流シリーズの平成仮面ライダー4作目『仮面ライダーファイズ』の方が、少数種族への弾圧をTV版と劇場版でそれぞれ逆の角度から描き、差別側が抱く、自分の領域が脅かされることへの畏れや、被差別側がイノセントでないケースにも踏み込み、より差別の根深さや人の業を描けていたのではないだろうか。
 

描写不足でスカッとしないストーリー

差別問題だけではない。『BLACK SUN』は、その他のサブプロットも、尻切れだったり、行き当たりばったりだったり、後味がよろしくなかったりする。
観終わってみると「なんかどれも消化不良だったな……アレ一体どういう事なんだ????」と、もやもやした気持ちが後を引く。 

光太郎と葵

かつて何も出来ず枯れてしまったおじさんと、いま何かをやろうとしている少女のコンビはあざとい程絵になり、大きな期待を抱かせるが、二人がよく一緒に居るのは5話までなので(恐らく、西島さんのスケジュールの都合なのだろう)、6話からガール・ミーツ・おじさん要素は急激に薄れる。上でも挙げた、このジャンルの先行作品である『レオン』や『アジョシ』、『ドライブ・マイ・カー』のようなのを期待していると、後になるほど肩透かしを食らう。
それでも、光太郎から変身ポーズを受け継いだ葵が、自我を失ってしまった光太郎を止めるラストバトルは情緒揺さぶる名場面であり、「お、まあまあ上手いこと着地したじゃん……」と余韻に浸っていると、葵ちゃんがテロリストとして少年兵を育成するラストシーンが、盛大に冷水をぶっかけてくる。
上世代の私欲や感傷に巻き込まれた若者がワリを食う物語、と観れば一貫しているし、思想や理想が正しく次代へ受け継がれるとは限らないのも現実だが、それが作品の結末として、別に面白くなっていない。
私が観てきた白石和彌監督映画の多くは、失踪した知的障害者の兄が痛快な形で見つかる『ロストパラダイス・イン・トーキョー』や、ギャンブル狂のダメ人間でも見捨てないでいてくれる『凪待ち』、メンヘラクレーマー不倫女が、最後の最後で、ずっと傍にいてくれた不細工な彼氏の尊さに気付く『彼女がその名を知らない鳥たち』等、一筋の光明が差し込んでくるような爽やかさが、結末にはしっかりあった。ボロボロになるまで組織に使い倒される『日本で一番わるい奴ら』『孤狼の血LEVEL2』でさえもだ。
なので「後味悪くスッキリしないのが大人のヒーローなんだよ!」という、失敗した先達と同じ轍を踏むのは避けてくれるだろうと期待していたのに、見事に踏んでしまっているのは甚だ残念である。
まあ元の『仮面ライダーブラック』も、続けてRXを見ないなら暗い幕切れではあるのだが……

光太郎と信彦

いまひとつ親友に見えない。
幼き日の運命的な出会い、二人で成し遂げた成功体験、「俺にはどんなときにも光太郎(信彦)がいる」と信じられるような献身……こういったものが描かれないので、なんとなく大学時代までつるんでいた幼馴染程度の印象しか抱けず、キングストーンを賭けて戦う非業の親友同士としては物足りない。信彦が2号ライダーを務める配置には、男二人の濃密なブロマンスを期待していたのだが……
描写薄の皺寄せとして、「あの二人なら奪い合わないだろう」と、何のセーフティも無く光太郎と信彦にキングストーンを埋め込んだ秋月教授の真意が、フワフワした非常に滑稽なものとなってしまっている。
一応、学生時代パートの、光太郎が自分の気持ちを押し殺して信彦にゆかりを譲ったと取れる描写が、秋月教授の見込みが正しかった裏付けとなっているのだが、あまりにもサラッと流され、呆気ない。最終回で光太郎から信彦へと放たれる「争わない俺たちだから選ばれた!」「俺はお前から奪うものなんて何もない。だから俺に託せ」というメッセージを、あっそういうことだったんだ!と視聴者の心に強く反響させたいなら、三角関係の描写はもっと劇的にやらないと効果が薄い。

ビルゲニア

本作の良い点として挙げておいて何だが、ビルゲニアも贔屓目を抜きにするとやや厳しい。
信仰の拠り所がなくなり、憑き物が落ち、残りの命を贖罪に充てようとした心境自体は変ではない。分かる。
だが、物語後半でキレイに漂白されるキャラにしては、前半でやってた事が悪辣過ぎないか???「人間が怪人に変わる様は何度見ても最高だな!」とゲラゲラ笑いながら葵を怪人に改造し、両親を拷問にかけた張本人にカッコつけて死なれても釈然としない人は多かっただろう。
彼の死を物語終盤の泣かせイベントとして定めたのなら、敵時代の所業をもう少しマイルドにする、創世王への一途な想いをしっかり描いてカウンターウェイトに置く等、なんらかのケアは必要だった。ニチアサの本流仮面ライダーと違い、結末を見据えて脚本を練る時間はあった筈なのに、向こうと大差ない行き当たりばったり感があるのは、ちょっといただけない。
 

物語とは、なんでもかんでも詳細に描写すればいいというモノでもない。
種の滅亡を回避する為、堂波の下で屈辱に耐えてきたダロム・バラオム・ビシュムら三神官の葛藤は、漠然とした空気感だけで十分伝わってきた。クジラ怪人やコウモリ怪人の過去も、想像に委ねた方が楽しい部分だ。だが、上記で挙げた、ストーリー最大の盛り上げどころを担う箇所については、描写を形として、しっかり重ねておくべきだったと、私は思う。
 

仮面ライダーブラック要素

「仮面ライダーブラックに由来する要素が沢山出てきて、観てて楽しかった」とは、本作の良さとして記した。その気持ちに偽りは無い。
無いが、でも、ヘンなんだよ!!!!!

どう見ても日本人なキャラクター達が「ダロム」「バラオム」「ビシュム」「ビルゲニア」と呼び合い、差別に苦しむ人達が「怪人」の呼称はすんなり受け入れ(怪しい人だよ???いいのか???そこ一番怒る所じゃないの???)、サタンサーベルもほぼあのまんまで出てきて、クジラ怪人によるブラック復活シーケンスが何の説明も無く再演されるのは、どう見たってヘンである。「白石和彌、そんなに仮面ライダーブラックが好きになったのか……」な気配が漂ってくるのは微笑ましいが、皿に盛るならしっかり火を通してからにしてくれ!
その一方で、バトルホッパーはデンデン言わない無機質なバイクと化し、ゴルゴムは悪の組織ではなく政党、怪人デモには暴力行使抑制の為に警官が随伴しているなど、現代社会に即したアップデートも同居するので、世界観のリアリティラインを奈辺に定めたいのかがまるで解らず、珍妙な視聴感を生んでしまっている。
一般層にも観てほしい大人の仮面ライダーを標榜するならば、暴力表現や社会風刺よりも、いの一番に気を使って欲しかった所だ。普段特撮を観ない層は、この手の「ヘンさ」に手厳しいのだから。

テレレレー

『BLACK SUN』を背負うメインテーマに相応しい楽曲だが、いくらなんでも流れ過ぎだろ後半!!
具体的に書き出してみると、8話の38分、9話op、9話の10分、22分、40分、49分、そして10話の2分、4分、20分、21分、29分、39分と、後半はだいたい10分おきにテレレレ-していた。そりゃ耳に残るわ!ちなみに作曲者の松隈ケンタさん曰く、テレレレ-ではなくテテレテ-。
 

おわりに

従来とは一線を画す、そうそうたる布陣で"大人の仮面ライダー"へと挑んだ『仮面ライダーBLACK SUN』。
観終わり、コンセプトを完遂できていたかどうか振り返ってみると、うーん、苦しい!
普段特撮を観ない一般層には仮面ライダー由来のヘンさがノイズとなり、特撮ファンはスカッとしたヒーロー活劇を味わえない、なんだか帯に短し襷に長しな作品であった。
熟達の俳優陣による芝居は見応えたっぷりで、文句なく素晴らしい。白石監督の持ち味である、シュールでオフビートな笑いにもクスリとさせられた。堂波や井垣といった悪役(注3)だって、『凶悪』先生『孤狼の血 LEVEL2』上林に匹敵する強烈なインパクトを残せており、成功している面も多々あるのだが……

注3…色んなモノを揶揄しまくった存在なので、諸手を挙げて良いキャラと言い難くはあるが、ルー大柴さんと今野浩喜さんのポテンシャルを存分に引き出していたのは間違いない。「トゥギャザーしようぜの人すごいな!」「キンコメの女子高生の制服盗んでない方の人すごいな!」と、彼らの怪演ぷりに感心することしきり。

総じて、白石監督がバランサーとして機能していないのが痛い。
後味が悪いだけの結末になってしまっているのもそうだが、原作要素をアレコレぶち込んだり、意識高めな題材を扱ったりと、「オトナの仮面ライダーをやらねば!!!!」の気負いが空転しているように感じられた。
「いつものスタッフが大人向けを撮ると気負いが裏目に出る」と外部に委託した白倉プロデューサーの読みは良かったものの、外様も外様で気負ってしまい、平衡感覚を欠く、「仮面ライダー」という題材の厄介さを、改めて見せつけられたような気がします。
 
大人向け仮面ライダーへの挑戦が、これで終わったわけではない。
2023年3月にはとうとう、庵野秀明監督の『シン・仮面ライダー』が劇場公開される。一の矢を損じても、二の矢が番えられているのだ。
オタク的拘りを高め抜いた凄みで、ジャンルに明るくない一般層をも魅了し取り込んできた庵野秀明。彼ほどの傑物なら、「大人向け仮面ライダー」の悲願を成し得るのではないか。
それとも、太陽を目指して届かず墜ちた、累々と折り重なるイカロスの一人になってしまうのか。
 
大人向け仮面ライダーを巡る懊悩に、50年の節目で、もしくは白倉さんの定年前に、決着がつくことを祈るばかりである。
 
 

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