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ゴジラ70周年記念作品『ゴジラ −1.0』感想


 
godzilla-movie2023.toho.co.jp


2004年12月4日。 
50年の歴史に幕を降ろす最終作、『ゴジラ FINAL WARS』を映画館にて鑑賞し、私はゴジラの最後を看取った。

帰りにタワレコで買ったSUM41のWe're All To Blame(日米ゴジラ対決の場面に流れる、あの超カッコいい曲です)を独り家で聴き、「これから俺は、ゴジラ無きセカイを生きていかなければならない……」と、弔い酒をあおった。
平成ガメラに浮気した時期もあったが、大好きだったよ、ゴジラ。さらば、ゴジラ。
ありがとう、ゴジラ。
 

あれから10年以上の歳月が流れ、
 
ゴジラは、意外に元気だった。
 

雄大で威厳あるゴジラ描写が日本のファンにも大好評だった、2014年ハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』
更に2016年『キングコング 髑髏島の巨神』、2019年『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』、2021年『ゴジラVSコング』と、4本にも渡る一大シリーズが展開された。
 
日本も負けてはいない。
ソリッドな人物表現と台詞の応酬が、対怪獣作戦に凄絶なリアリティをもたらす、2016年『シン・ゴジラ』
庵野秀明監督の偏執的拘りが詰め込まれた、大変カルトな一作だったが、ドメスティックなテーマ性は普段怪獣映画を観ない層にも大ウケし、最終興収82億のスマッシュヒットを記録。
 
2017年からは『GODZILLA 怪獣惑星』を始動とする3部作が劇場公開。2021年には『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』が配信及び放送開始。これら2作は特撮ではなく、アニメのゴジラだった。
毎年11月3日に行われるイベント『ゴジフェス』では、その年の50周年怪獣にスポットした高クオリティのショートムービー(今年なんてメガロとジェットジャガー、メガロとジェットジャガーですよ!)が公開されていたり、『ゴジぱん』『ちびゴジラの逆襲』といったキッズ向けコンテンツも、youtubeにて配信されている。
 

なんか、全然ピンピンしとるな、ここ10年位のゴジラ!?
 

そしてこの度、2023年11月3日に公開されたのが、本記事で扱う『ゴジラ−1.0』
監督はあの山崎貴さん。
疑う余地なしのヒットメーカーだが、"○○泣き"と揶揄される情緒過多な作風が物議を醸す、毀誉褒貶の激しいお方。
私自身、『ドラゴンクエストユアストーリー』を観て昆虫のようにひっくり返った後、同時期に公開していた『アルキメデスの大戦』の面白さに、「これが同じ監督の作品なの!?」と驚嘆したものだ。
 
一抹の不安は抱きつつも、なにせ『シン・ゴジラ』以降初となる、国産実写ゴジラ映画。
いわば、分家ではなく本家。
否応なしに胸は高鳴る。
初代『ゴジラ』以前を舞台とした、シリーズ初の試みにも大変そそられる。
戦争、ゴジラと、プレスターンバトルの如く殴られ続けた日本は、果たしてどうなってしまうのか!?
 


 

ゴジラ『−1.0』の良かった点

ゴジラの描写

文句無し。素晴らしかった。
大迫力、高質感のVFXにて具現化された新たなゴジラが、実景となめらかに合成され、スクリーン狭しと暴れ回る光景は圧巻。
陽光下での接写にも余裕で耐えうるハイディテールには、日本のフル怪獣CGもここまで来たか……と、深い感慨を抱かずにいられない。

そして、怖い。
『−1.0』のゴジラは、明確に人間を狙ってくるシーンが多く、巨大存在に命を脅かされる根源的恐怖を、存分に堪能できる。
比較的小型だった呉爾羅の頃から、大戸島の整備員をひとりずつ念入りに噛み殺すし、巨大変異後の一発目に『ジョーズ』よろしく、泳ぎで木造船へと肉薄してくる様は戦慄モノ。船とゴジラのサイズ比や、アトラクション的アングル、美麗な水飛沫エフェクトも相まって、迫力満点の名場面。
銀座へ上陸してからもハチャメチャに暴れ野郎で、逃げ惑う群衆などは容赦なく踏み潰す。地響きに混じり、肉の弾けるミチッ!としたSEが聴こえるのにドン引き。齧った電車ごと典子さんを振り回す狼藉は、さながら『キングコング』のゴジラ流翻案といったところか。
これら一連の銀座大暴虐は、敷島がささやかな幸せを積み上げ、ようやく光を掴みかけた矢先に行われる、タイミングそのものがもうヒドい。『−1.0』のゴジラは、サバイバーズギルトの具象として敷島をいたぶり抜く、パーソナルな敵としての悪意が濃いのも持ち味だ。

そして、ゴジラといえば、ゴジラといえば放射熱線。
撃鉄の如く背鰭がせり出す、メカニカルな発射シーケンスからの光条一閃。銀座が跡形もなく消し飛び、爆心地にはキノコ雲が立ち込め、ダメ押しに、黒い雨がざあざあ降り注ぐ……
これほどの厄災を見せつけられながら、しかし一方では、美しいとも感じてしまう二律背反。これこそ、これこそディザスター系ゴジラ映画の醍醐味。天空への放射がアイコニックなレジェンダリー版ゴジラ、火の七日間を彷彿とさせるシン・ゴジラと、最近のゴジラは熱線大喜利の様相を呈しているが、ニューカマー、マイゴジ君の熱線もイイじゃん……

「山崎監督は毀誉褒貶の激しい方」と前書きに記したが、『ALWAYS 続・三丁目の夕日』冒頭のゴジラや、『ゴジラ・ザ・ライド』は高評価されているため、ゴジラ描写に関しての不安は無かった。
しかし、怖いゴジラ、ワルいゴジラ、厭なゴジラで、ここまで期待を上回ってくれるとは。
ゴジラ映画でゴジラに大満足。これ以上の喜びがあろうか。文句無し!
 

人間ドラマ

信頼を寄せていたゴジラ描写とは違い、山崎監督のウェットさ極振り人間ドラマは、正直かなり不安だった。
しかし、これが中々意外に、いや、かなりいい。
 
逃げ出した復員兵の敷島が、ゴジラ打倒を通じてサバイバーズギルトを払拭し、戦争によって奪われた人生を取り戻す、衒いのない直球のドラマ。
民間技術者が活躍する池井戸潤的テイストや、旧日本軍の人命軽視への戒めも込められており、神木隆之介や浜辺美波、山田裕貴といったキャスティングも手伝い、『ゴジラ−1.0』はこの手のジャンル映画にしては、破格のメジャー感を湛えている。
「普段、怪獣映画を観ない人達にもウケそう、観てもらえそう」度合いが、物凄く高い仕上がりなのだ。
語り口について言いたい事は結構あり、後程述べるが、とにもかくもゴジラが続いて欲しいファンとして、ゴジラ映画を、ここまでメジャーな装いに仕立ててくれた山崎監督の手腕自体には、感心と感謝しかない。流石、邦画界のヒットメーカー。

まあ私も、一般ウケがああだ、メジャー感がこうだ言いつつ、結構どっぷり、ほだされながら観ていた。
典子さんと敷島が互いの想いを伏せ、「私が自立しないと、浩さんお嫁貰えんしね」「典子さんが仕事に行ったら明子はどうするんですか!」と牽制し合う場面なんて、ベタだよ。ベタだけど……好き!
厳しいのは最初だけな澄子おばさんに、『怪物』の安藤サクラはそんなもんじゃなかったぞとヌルさを感じなくもないが、亡くした我が子の面影を明子ちゃんに重ね、何かと世話を焼く様は、なんだかんだで微笑ましい。
明子ちゃん。明子ちゃんもいい。彼女の存在自体が、初代『ゴジラ』に登場した孤児たちへと捧ぐ、「どうか、いい人達に貰われて欲しい」という、切なる祈りとなっていて。山崎さんの作家性を、強く感じた着眼点。同じ初代ゴジラを観ても、庵野さんでは出てこないんじゃないかなあ。
 

怪獣とドラマパートの相互性

前述した典子さんや明子ちゃん、お隣の澄子さんを初め、機雷処理班の面々やわだつみ計画参加者、橘さんに至るまで、『−1.0』には驚く程、いい人しか出てこない。
それでいて、敷島にヘイトフルなゴジラがギラリと睨みを利かせている為、決して映画全体が、ベタベタしたハートフルさに染まっていないのは高ポイント。
敷島を取り囲む優しい人達の配置は、対比効果でゴジラの獰悪さをより際立たせるので、実は、ゴジラも得している。
ゴジラが人間ドラマを抑制し、人間ドラマがゴジラの怖さを増幅する。怪獣映画として模範的な相互関係を『−1.0』はしっかり構築出来ているのだ。悪意の在処をゴジラに絞ったことにより「怪獣映画を観に来たのにかったるい人間の争いを見せられる」という、陥りがちな失敗を予防出来ているのにも、膝を打つ。
とりわけ主人公の敷島は「普遍的な人間ドラマの提供」「ゴジラの怖さを引き出す触媒」の2点で優秀であり、怪獣パートと人間パートの相互性に、大きく貢献できたのではないだろうか。
勿論、今や国民的俳優となった神木隆之介くんあっての敷島なのは言うまでもなく。魂が剥がれ落ちてしまったような佇まい、黒い雨を浴びての慟哭、ゴジラ絶対殺すマンと化した際のバキバキにキマった目つき……いずれも熱演で素晴らしかったです。
 

旧日本軍兵器の活躍

終戦直後の舞台設定及び、山崎監督の趣味から、「旧日本軍の兵器でゴジラと戦うのでは?」と予想されていたが、案の定、出ましたね。重巡洋艦「高雄」や、幻の試作高性能機「震電」がゴジラと激闘を繰り広げる場面は、明白に本作の見どころとなっている。

断っておくと私は旧日本軍兵器にあまり馴染みが無いので、「うおおお!!高雄!!!震電!!!!」と盛り上がった訳ではない。
だが、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』のメーサー殺獣光線車、『海底軍艦』の轟天号、『ゴジラ(1984)』のスーパーX等に代表される東宝特撮メカの血脈に、旧日本軍の兵器をナマで連ねてしまう新境地には、いち特撮ファンとして大いに唸らされた。
それに、決死の零距離射撃をゴジラにお見舞いする高雄の奮戦や、「終戦のどさくさで行方不明になっていた幻の試作機」と銘打たれ登場する震電なんて、元ネタを知らなくても、そりゃアガりますよ!!特に震電。零戦の着陸で幕を開けた本作が、震電の離陸によって幕引きへ向かう構成美。ゴジラ陽動を一手に担う華々しさ。佐藤直紀氏の手による、生と死のあわいすらも青空へ溶けていくような、澄み渡ったテーマ曲……伊福部BGMに話題を持って行かれがちだが、震電の曲も素晴らしかった。
 

わだつみ作戦

初代ゴジラより更に前、軍隊の解体された終戦直後を舞台とする試みは面白い。
でもそれで、どうやってゴジラ倒すの???納得いく倒し方を見せてくれるの???と不安や憶測が飛び交う中でお出しされた「わだつみ作戦」
私はこれ、素直に感心しました。よく考えついたなあ、うまいことやるなあと。
氷山に閉じ込めた『ゴジラの逆襲』、火山に落とした『ゴジラ(1984)』に比し、海溝の圧は若干頼りなさげだが、最も安易で嫌だった「オキシジェンデストロイヤー的な二番煎じ超兵器」は避けてくれたし(泡に包まれて沈むゴジラの模型にオマージュを留めておくの、粋!)、少数の艦艇さえ返還して貰えれば実行可能で、時代設定とも齟齬がない。それでも漂う卓上論の気配は、戦いの最中、案の定作戦が破綻していくことでうまく正当化されていた。
ゴジラに熱線を一度吐かせ、クールタイムを誘ってからの作戦発動もゲーム的でエキサイティング。囮の船が吹き飛ばされる前に、無人の艦橋を一瞬チラリと映す演出がまたカッコいい!ここ、超カッコよかったです。カッコよかった。「自動操縦だから犠牲者はいない」なんて野暮な説明を挟まなかったのもエラい!
機動力のある機体でゴジラにワイヤーを巻きつけ、脆い内部に爆弾を放り込みドカーン!の流れが、どう見ても『スターウォーズ』なのはご愛嬌。
 
 

『ゴジラ−1.0』の気になった点

 

台詞で言わせすぎ

思っていること、目の前で起きている事態、死生観、トラウマの吐露、未来への展望……とにかく、登場人物達が内面を台詞にして喋りまくる。
機関銃がゴジラに効かなければ「全然役に立たない!」、倒せたと思えば「やったか!?」、大戸島犠牲者の写真を眺めては「生きてみたいと思うんです……」「許しちゃくれないって言うんですか……」、いやもう、分かるよ!分かるから!
戦後の国際情勢や兵器事情、ゴジラ絡みの必要な説明台詞も更に乗るので、全体を通じ、過弁。ゴジラ出現の予兆に浮いてくる深海魚が、カットを割るごとに多く、大きくなっていく、本作随一のCool演出にも「大戸島の時とは比べ物にならないッ!」って台詞被せてくるし……神木くんが慄く表情でスマートに伝えてよ!できる俳優さんなんだし、こっちも察せるから!

特に引っ掛かるのが終盤、わだつみ作戦決行前の資材搬入場面。
港を駆け回る船員達を見やった艇長が「みんないい顔してるじゃねーか。嬉しいんだよ。役に立てることが」と晴れやかに言い放ち、シーンの方向性を映画側で定めてしまうのは、やや無神経ではないだろうか?
生き残り第一を掲げ、強制ではないと前置きしても、所詮はゴジラ相手の、限りなく分の悪い戦い。
皆が必死で抑え込んでいる怯懦や悲嘆、後悔、諦念を単色の美辞麗句で塗りつぶしてしまうのは、いかがなものか。否定してきた特攻兵の役割性を強化しそうで危ういし、映画の語り口としても、上品ではないと感じる。

ゴジラとの戦いへ赴く、男たちの姿は悲痛だ。
悲痛だけれども、輝かしく、尊くもある。
誰に定められるでもなく、敬意が自然と胸中に湧き上がってくる、そんな場面に仕立てて欲しかった、わだつみ作戦前の物資搬入場面は。人間ドラマパートには概ね満足な『−1.0』だが、山崎監督の良くない面も端々に出てるなあと。
 

展開が読めてしまう

台詞で言わせすぎ問題に加え、本作は説明過多なつくりでもある。
特に終盤に顕著なため、せっかくのクライマックスであるわだつみ作戦の帰結が読めてしまう。

震電のシートに意味深なまなざしを向ける橘さん。
彼に爆弾の起動方を教わった後、何らかのレクチャーを受けている敷島。
学者による「脱出装置すらない戦闘機」の台詞。

あまりにも導線がくっきりしているため、敷島がゴジラに決死の特攻をかけても「まあ、脱出装置あるよな」と解ってしまう。
わだつみ作戦のブリーフィングで第2プランの説明が始まった時も「つまり、第1プランのフロンガスは失敗するんじゃん」と解ってしまう。
あんなタイミングで小僧が離脱したら、鬼邪高校の村山さんばりにイイ所で駆け付けてくるのも解ってしまう。

最もよくないのが、わだつみ作戦の流れをぶった切ってまで挟まれる、隣のおばさんが電報を受け取るくだり。
いや、いやさ、こんなの、典子さんの生存報告だってバレバレじゃん!!!!
案の定、典子さんはラストシーンで生きていた。生きている事自体はいい。いいよ。多少ご都合主義気味でも、敷島が報われる結末こそこの映画には相応しい。
でも、でも、そこでバラすんじゃないよ!
 

艇長

本作は山崎監督作品らしく、情緒もtoo muchな傾向にあり、総じて人物の芝居が大仰なのだが(典子さんの「死んではダメです!!!」なんて席でビクッとしちゃったよ)、最たるものが、佐々木蔵之介さん演じる艇長。
頼れる昭和のべらんめぇ親父を表現したいのは分かるが、台詞があまりにもクサい。クサくない台詞を探す方が難しい、程度の甚だしいクサさ。ちょっとはデオドラントしてくれ!!せめて「やったか!?」は半分に減らそう!
台詞の内容自体は、観客の疑問を的確に代弁してくれるものが多く、小僧の軽口を諌めたりと、ドラマの潤滑油としてよく機能しているのだが……やっぱりクサい。
 

典子さん

敷島の人の良さに付け込み、タカりのような形で押し掛けてくる、ふてぶてしい第一印象の典子さん。ここから彼女がどう変わっていくのか、どう敷島と惹かれ合うのか、強く興味を喚起するセッティングだ。
にも関わらず、1年後の場面へとジャンプしただけで、典子さんは貞淑で芯の強い、模範的昭和ご婦人と化してしまう……
これには明確にガッカリした。
ヒロインの第一印象を敢えて悪いところからスタートする意義って、変化の過程を通じて人物像を深彫りし、観客にも「この子、出会ったときからずいぶん変わったよね」と愛着や感慨を抱いてもらうためじゃないですか?なのに、なのに過程が描かれない……

明子ちゃんを見捨てなかった時点で典子さんは敷島に一目置いているし、身を寄せ合って暮らせば情が湧くのも妥当。出会った頃は飢えで荒んでいただけ。元来典子さんは貞淑な女性だった。確かに、省略しても十分通じる、繋がるシーンだ。
だからといって、その過程を省くのと、ハッとするようなロマンスを実際に見せてくれるのでは、キャラクターとしての魅力は全く違ってくる。描いて欲しかった。荒みきってた典子さんの気持ちが、「浩さん……(トゥクン)」と変わる瞬間を。
典子さんが、より魅力的で、より愛着の持てるヒロインであればある程、彼女を喪った敷島の絶望にもより同調できるし、奪っていったゴジラに対する怒りもより跳ね上がるというもの。割いた尺に対する映画全体への貢献度で見ても、効率の悪い語り口では決して無い筈。
「銀座の活気が台詞のみで済まされる」「後から活躍すると思わせてそうでもなかったバイク」辺りも少し引っ掛かったため、バイクに典子さんを乗せて銀座へ出かけ、ふたりがグッと急接近するようなエピソードが観たかった……
 

ラストシーン

倒した筈のゴジラの心臓が、海底でなおも鳴動を続ける様子を不穏げに映し、復活を匂わせる。
これは歴代でもよくある、ゴジラの不滅性をアピールするお約束なので、構わない。本編から切り離された、観客への目配せでもあるので。
しかし、病院に横たわる典子さんの首元に、ゴジラ細胞に浸食されている痣を映すのはやり過ぎ
敷島、お前の戦争は終わったよ……と万感の思いに浸っている所に「だが、典子さんの身体はゴジラ細胞に浸食されており(ニチャア)」みたいなのはさあ、よしなさいよ!
『シン・ゴジラ』のラストが「日本に住む以上、地震や原発事故とは隣り合わせ」と正当な寓意を孕んでいたのに対し、本作のは「敷島はいつまでも戦争の影を払拭できない」という、意地の悪い趣向以上のものが感じられない。せっかく普段ジャンル映画を観ない人も沢山来てくれてるんだから、その人達をキョトンとさせても、しょうがないでしょう。

まあ、ゴジラの力を得た典子さんがあのあと超絶的肉体進化を遂げ、生身でエビラを狩ったり、X星人と殴り合いをするゴジラ・マイナスウォーズが観たいか観たくないかで言えば観たいが……
 

選曲

ゴジラの銀座蹂躙シーケンスに『ゴジラの猛威』を、わだつみ作戦発令に併せ『ゴジラのメインテーマ』をBGMとしてチョイスし、観るもののゴジラ魂を煽り立てる『ゴジラ−1.0』。
大音響で聴く伊福部昭先生の原曲、アガる!!!!!
……アガる。アガる、の、だが、途中からなんだか、別の怪獣のメロディが聴こえてくる。
「マハラ モスラー♪」とモスラが。
「オーッオオオオオオオ♪オーッオオオオオオオオ♪デデーン♪デデーン♪」とキングコングが。
 
この映画に、モスラもコングも関係なくない???
 
些細な事なんですよ。些細な事なんです。
ゴジラシリーズ、とりわけ平成VSではファンサービスの一環として過去曲が流用され、例えば、ラドンの出てこない『ゴジラvsキングギドラ』で『ラドン追撃せよ』が使用されたりもしてきた。
しかし、気鋭のクリエイターが歴史ある長寿シリーズに携わり、微に入り細を穿つ拘りを各人が披露しあう令和の世に、90年代ゴジラ映画と大差ない手つきでの曲流用は、いささか無頓着に感じる。
それこそ『シン・ゴジラ』には、知名度の高い『怪獣大戦争マーチ』ではなく『宇宙大戦争マーチ』がチョイスされ、「本作はゴジラが悪い怪獣と戦ってくれる映画ではないもんな」と感心させられたものだし(真意はどうあれ)。
拘りを感じさせるポイントは、多ければ多い程、細かければ細かい程いい。いくらあっても困らない。キングコングさんとモスラさんには大変申し訳ないが、お二人を想起させる部分は編集でカットしといて欲しかった。
 

橘さんの呼び出し方

アレは無いわ。
 

総評

『ゴジラ−1.0』の良いところ、良くなかったところ、ざっとこれくらいだろうか。
大体半々になるよう挙げたが、心象及び総合評価としては、圧倒的に賛

確かに本作は、説明過多で情緒過多な映画だが、台詞に頼らず、アクトで魅せる場面も多い(注1)。
終盤の展開が読め気味なのも、丁寧に伏線を張り、要素を使い切った結果だ。選曲やラストシーンも、まあ好みの範囲だろう。艇長も「恐れ入谷の鬼子母神だ!」がだんだんクセになってくるし……
引っ掛かる点はいずれも、映画全体の面白さを損なうには至っていない。

注1……わだつみ作戦の参加者達が「生きるための戦いだ!」と湧く中、独り所在なさげに目を伏せる敷島や、震電の操作をレクチャーしながら、敷島が生きるに足る男かどうかを見定めているかのような橘さんなどは特に見所。
 
 
最後になるが、本作『ゴジラ−1.0』で最も深く感銘を受けたのは、山崎監督の、ゴジラとの向き合い方だった。
マニアにも一般層にもスマッシュヒットした、あの『シン・ゴジラ』後を任される重圧。並大抵ではなかった筈だ。
「自分の土表に連れてこないと、この映画に勝ち目はない」「ポリティカル方面には行かないようにした」等々、シン・ゴジラを睨むコメントの数々からも、圧の重さが克明に伝わってくる。

あまりにも巨大な怪物と、どう戦えばいいのか。
山崎監督が考え、考え、考え抜いた結果、「シン・ゴジラが捨てたウェットさで勝負するしかない」と腹を括った瞬間こそ、最高にドラマチックだったのではないだろうか。
劇中印象深い「誰かが貧乏くじを引かなきゃなんねえんだよ!」の台詞は、他ならぬ山崎貴さんが、自身を鼓舞するべく発していたのではないだろうか。
 
ドライな『シン・ゴジラ』、ウェットな『ゴジラ−1.0』。
官の『シン・ゴジラ』、民の『ゴジラ−1.0』。
陸の『シン・ゴジラ』、海の『ゴジラ−1.0』。
 
徹底的に『シン・ゴジラ』の向こうを張り、あちらが捨てた要素全開でぶつかり、地の利がある昭和へと引きずり込み、見事『シン・ゴジラ』とは全く別路線の、傑作ゴジラ映画を打ち立ててみせた山崎監督。
 
激賞。こんなの、激賞するほかないだろう。激賞だ。
『ドラゴンクエストユアストーリー』の時は「なんでオファー断りきらなかったの!?」なんて恨み言もぶつけたが、今回の山崎監督には、心からお礼を言いたい。ありがとう山崎貴監督……

「次にゴジラをやる人のハードルはとんでもなく上がってしまいましたね」とは『シン・ゴジラ』に寄せた山崎監督のメッセージだが、自身も、ハードルを上げる側に回ってしまった山崎監督。

次の国産実写ゴジラ映画を撮るのは、果たして誰か。
そして、どんな作風になってしまうのだろうか。
 
 
庵野秀明は好きにした。
 
 
山崎貴も好きにした。
 
 
次の監督も好きにしろ!
 
 

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劇場用パンフレット。キャストインタビュー、監督のオファー時期や制作環境に関する裏話が楽しい他、歴代ゴジラ作品紹介コーナーも読み応えあり。
 

サントラ。曲良かったですね今回。
 

山崎監督本人によるノベライズ。台詞が忠実に書き起こされているほか、映画本編に無かった良いシーンも多く、ディレクターズ・カット版的に楽しめる1冊。敷島が橘さんをおびき寄せるために書いた、あの手紙の全文が読めるのはここだけ!
 

実質主役メカの震電。
 

ソフビ。映画館に来た子供が買ってもらってて微笑ましかった。
 

これ、絶対『GODZILLA(1998)』ですよね!?!?タカシからエメリッヒへのエールだ!!ヤッター!!!と心の中でガッツポーズしたが、まあ、山崎さんのルーツ的に『ジュラシック・パーク』の方だろうな……
 

4kリマスターされた初代ゴジラ。官、民、軍、学、男、女と、ゴジラを見つめる視点バランスが抜群に良く、ここから様々な怪獣映画が派生していくのも納得の傑作。『−1.0』が何を足し、何を引き、如何様にオマージュを捧げているのかがよく解る。
 

山崎監督の推しゴジ。熱線の爆心地に出るキノコ雲や、執拗な篠原ともえイジメ等、ラストシーンなど、『−1.0』と重なるところも多い(監督本人は意識していないが、気が付くと似てしまったとか)。
 
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太平洋戦争を舞台とした山崎監督の作品群。